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「ど、どうして?」
足を止め、泰之を振り返る。話がすごく飛んだ気がする。
泰之は呆れたように見つめ返す。
「言っただろ。雪ん子は自分たちを見つけた人間を、どっか見も知らぬ世界へ連れてっちゃうって」
「そんなの、怖いじゃん」
情けなくも語尾が震えた。
「英介はさ、普通に守ってくれる親がいるから、いろいろ文句も言えるし、戻れないのは怖いと思うんだよ」
泰之の言葉にはっとした。
「ばあちゃんは優しいけど、もうずいぶん年だから。これ以上迷惑かけたくない。俺がもっと早く大人になれればいいんだけど、中学卒業するまでだってあと五年もあるしな」
池に向かって歩き出す。泰之の踏む泥の音が静かに響いた。
「俺がいなくなりゃ、その分ばあちゃんはもっと楽になる」
「やっちゃん、そんなの」
間違ってる、と言いかけてやめた。
何が正しいのかなんて、英介にも判らない。
突然泰之が振り返り、人差し指を唇にあてた。耳を澄ますと、ひそひそと囁きあうような音がかすかに聞こえる。
くしゅくしゅ、とも、こしょこしょ、ともつかない複数の話し声のような……。
なに、これ? 目で尋ねると泰之も黙ったまま水面を指差した。
雪をかぶった薄氷の上で動くものがある。
まさか、本当に雪ん子? でも、さっきまでは確かに何もなかったはずなのに。
じっと目を凝らしていると、小さな人の形をした生き物の群れだった。体長は十センチくらい。踊っているような足取りで、次第にこちらへ近づいてくる。
「お前は土手の下にいろよ」
「で、でも」
英介は立ちすくみ、泰之と池に現れたモノとを見比べていた。本当は逃げ出したいくらい怖かったけれど、身体が強張って動けないのだ。
「早く! お前まで巻き込む気はないんだ」
突き飛ばされるような勢いで土手へ押しだされる。持っていた枝を放り出して、慌てて堤のふちに手をかけた。
その騒ぎのせいで気が付いたのか、池の上の一団がいっせいにこちらを向いた。
冷たい土を握りしめた英介は、全身に鳥肌が広がるのを感じた。
丸い顔に三角帽子。泰之の言葉を借りれば『雪ん子』は、子どもの落書きみたいな微笑ましい外見をしている。しかしそれまでは点のようだった目が、振り向き泰之を認めたとたん、真っ赤に変わった。
ごしょごしょごしょ。
さっきまでとは違う、怒りを含んだうなり声を上げて、そいつらは泰之に向かってきた。
「やっちゃん……」
「見つからないように逃げろよ。お前が転校してきてから、けっこう楽しかったぜ」
英介は息を呑んだ。
池のほとりまで来た雪ん子は、明らかに敵意を持った様子で泰之を睨み上げていた。泰之は強張った顔つきでそれらと向き合っている。
雪ん子は絵本に出てきそうなのんびりした外見なのに、赤く輝くまん丸の眼が忌まわしい感じがした。
ごしょ!
先頭にいた雪ん子が一声叫ぶと、それを合図に跳びかかっていった。十、いや二十匹くらいはいたのだろうか。
鳥のように雪ん子たちが泰之に跳びかかっていくのと同時に辺りに青白くまぶしい光が満ちた。英介は思わず目を閉じる。
「うわあっ」
泰之の短い悲鳴を聞き、英介はぐっと息を呑んだ。
「…………」
ほんの二、三秒だったのかもしれないが、英介にはとてつもなく長く感じられた。
しぃんと静まり返ってから、そぉっと目を開ける。そこには誰もいなかった。目の前にいたはずの泰之も、確かに見た雪ん子も、跡形もなく消え去っている。
泰之の持っていた柳の枝が落ちて、団子も泥にまみれていた。
「……やっちゃん?」
囁き声で呼んでみても何の応えもない。満月の明かりに照らされた、凍った池が広がるばかりだ。
押しよせる静寂に恐怖が蘇り、英介は転がるように土手を駆けおりた。
叫びださないように口をしっかりとつぐんでいるのが精一杯で、あふれてくる涙は止められず、何度も拭わないといけなかった。