もつべきもの
自分のものではない思考が、ゆっくりと自分を食い破っていく。
背後から突きさされるような感覚に、腹の底が冷える。
がんじがらめにされたように、思考も身体も思うように動かない。
――なんだ、これ。
息が苦しい。
もがこうとすればするほど、泥沼に引き込まれていくよう。
衝動。内から湧き上がる理由のわからないモノに押しつぶされそうになる。
手を伸ばす。
ほんのわずかに浮かぶのは、奈留の声だった。
「海斗っ!?」
「っ!?」
それまでの暗黒が消え去り、景色が強引に塗り替わる。
ぞっとするほどの吐き気と酩酊のような感覚に、最悪の気分を味わう。
「ずいぶんうなされてたけど、大丈夫?」
「あ、ああ……?」
わずかな戸惑い。
そんなこちらの想いを知っているのか、いないのか。
交差する視線の中で、オレも奈留も何も言えずにいた。
そうしてしばらく、奈留はただ寂しそうな苦笑を浮かべただけだ。
「あの時は、ごめん……ちょっと、躍起になってた」
「……いや。あの時は十中八九でオレが悪い。お前が謝る必要なんてねぇだろ」
やるせなさのせいか、言葉が乱雑になる。
そんなオレのことを見ても、奈留は一つも嫌な顔はしない。
こういうときになって、意味もないことを考えたくもなる。
昔からの知り合いではあるが、奈留という人物はオレからしてみればできすぎた幼馴染だ。
「オレに付き合う必要なんて、お前にはないだろ」
自然と、そんな言葉がこぼれる。
良くも悪くも、親父の言った通りなのだ。
オレが信じている正義というのは、あくまで自分自身のエゴでしかない。
そういう、大馬鹿野郎なのだ。
「昔から、海斗はヒーローになろうとしてたよね」
……。
「覚えてる?いじめっ子から私を守ってくれたこと。一輝に護身術を教えたこと」
「……そんなこと、」
「大したことはないのかも知れない。けれど、そういう海斗の願いは、間違ってはいないはず」
反論しようとして、あまりのことに思考が吹き飛ぶ。
ただ。奈留の腕に包まれていた。
柔らかくて、暖かい。
そんな場違いな感想をどこか静かに受け取りながら。
「誰だって最初は間違える。間違えた大きさで折れてしまうかも知れない。立ち上がるのも、留まることも、一つの選択だから」
そっと、温もりが去る。
追いすがるように。無意識に伸ばした手は何もつかめない。
「あなたは、これからどうしたいの?」
そうして突き付けられたその問いは、ぞっとするほど優しい言葉だった。
もう、これから先を頑張ろうとする必要性なんて、その重要性なんて、どこにもない。
あの温もりの中へと埋もれてしまいたい。
それなのに。
折れたはずのオレは。そんなバカバカしい未来を否定した。
「そんなもの、決まってる」
親父に憧れていた。オレが主人公なんだと信じていた。
こんなバカでも、誰かを助けることくらいはできると、愚直に信じていた。
なら。
なら――たった今だけでも、信じさせてくれよッ!!
その覚悟を鉄にして。これまで練り上げてきた経験を炉に、意志という剣を創り上げる。
それだけが、このバカバカしい現実を打ち壊す、オレだけの『シンメトリ』。
「オレは、榊海斗だ……ッ!だったら、見向きもされない悪をぶん殴るのが、オレの信念だ!!」
奇しくも。
それは怜雄の『対称』となる、唯一無二の武器となる。
「海斗……それ……!」
「……みたいだな」
発現したシンメトリは、大海を思わす深い蒼の色を模した銃だった。
握る掌から流れてくるのは、茫洋。
ただただ膨大な海の記憶が、心すらも平穏へと変えていく。
「なあ、奈留」
だが。
そんな海のまっただ中に居ようと、その心と言葉は揺るぎはしなかった。
決めた覚悟も、もうどこにも行きはしない。
「待っててくれ。オレの帰る場所を、オレ達が帰ってくるべき場所を、守ってくれ」
戦ってるのはオレ一人じゃない。
奈留も、一輝も。親父も、汐音も。
そして忌々しいことだが……怜雄だって、今この瞬間に戦っているのかも知れない。
「背中は任せた」
オレは、帰ってくるべき場所を知っている。
だったら、迷う必要なんてどこにもない。