終焉のプロローグ
「まさか、こんなことになるとはな」
「ああ。オレも、こうなるなんて思ってもなかった」
蒼と紅。
廃ビルを背にし、二人は警察が拠点を構えている旧市街の一画で対峙していた。
空は暗く、水平線の先に浮かぶ月が、静かに両者を見届けている。
それまでのあらましは両者にとって良いニュースではない。
地下空間への突入作戦を指揮し、その経過で真犯人と思しき相手によって統制が崩壊、その際に榊警視正は行方不明となった。
騒ぎを引き起こした男の足取りを追ってはいるものの、未だ混乱は覚め止まない。
その時節を同じくして、剛健もまたほとんど瀕死の体で見つかった。
こちらは背後のビルに運ばれ、汐音や駐在医によって一命を取り留めてはいるが、意識不明という状態。
もはや収集の付けられない阿鼻叫喚の中、傍観者であったはずの一輝が巻き込まれた。
「どうして、こんなことになってしまったのか」
紅の少年に宿るのは、諦観とも悲嘆ともつかない感情の灯らない声。
しかし、だからこそ溢れんばかりの怒りがあった。
絶対零度の瞳が、海斗を射貫く。
「なってしまった。そうなってしまったなら、どうすることもできやしない」
懺悔のような言葉が零れては消えていく。
もし、あの場でオレが親父を止めに入らなければ、事態は良くなっていたのではないか――?
そんな罪悪感が、定めたはずの覚悟へと突き刺さる。
「人の生は、無為に奪われるべきではないはずだ」
「その通りだ。その通りだからこそ、オレはどうすることもできなかった」
言葉にするたび、自分の弱さが招いた事態に腹立たしさが募る。
だが、過ぎ去ったことを今更に悔やんだところでどうすることもできない。
「やはり、難しいものだな」
そんな淡泊な声が、どこまでも人間らしく映る。
自分とは対称的な相手。
だからこそ、思わずにはいられない。
どこかで、わかりあえたのではないかと。
こんな無意味な会話こそが、オレ達の交わせる最後の譲歩だ。
今もなお浮かぶのは、互いに『どうして』という言葉だけ。
それでも、止まることはできない。
「難しいさ。だけど、だからこそオレ達がいる」
「その考え方は、ただの自己満足でしかないかも知れないぞ」
「ああ。でもな、価値を決めることだって自己満足だ。それを押し付けあうから、ややこしくなる」
結局、人間なんてそんなもんだ。
変にややこしくて、変に自分勝手なことをする。
「ままならないものだな」
「そういうもんだ」
腕を突きだし、構える。
これ以上の対話を重ねたところで、平行線のまま終わることはない。
二人が目指す道は、完全に真逆なのだ。
犯した罪の清算と、過去から受け継がれた悲願。
そのどちらも、揺らぐことはない。
「怜ぇ雄ぉおおおおッ!」
叫ぶ。甘えを振り払うために、自分の弱さを振り払うために、喉よ割けよと海斗は叫んだ。
「ああ。決着をつけよう」
対する怜雄は、ゆらりと利き手を突きだし、悠然と構える。
その仕草に内包されている圧力は、容易に海斗を凌ぐほどだった。
圧倒的な彼我の距離を、海斗は自ら削り取る。
「せあッ!」
呼気と共に、適確な手刀が怜雄の喉元まで迫る。
しかし、そんな攻撃が届くはずもない。怜雄が躱そうとしたところを、海斗は渾身の力で踏み変えた。
「っ!?」
寸前で止められはしたが、まさか拳ではなく足で攻撃されるとは思ってもみなかったのだろう。
その証拠に、怜雄はわずかに体勢を崩し、その隙で海斗はさらに距離を詰めた。
まさに一触即発というほどの距離。
油断でもあろうものなら、その瞬間にさえ終局を迎えただろう。
いや。
だからこそ、二人はより慎重に状況を俯瞰していた。
この戦いに優勢も劣勢も関係などない。
あるのはただ、どちらが正しいのかという意地の張り合いでしかないのだ。
「「…………」」
風の音さえ置き去りにするほどの、暗鬱とした静寂が流れる。
互いを睨みつける両者は、ただ機を待つ。
静と動。まったく動きのない戦いは、しかし長くは続かない。
動いたのは、海斗と怜雄の両方だった。
海斗が退き。怜雄が追う。
それこそが、最初で最後の駆け引きになる。
海斗が突きだすのは、異能によって形作られた銃。それは空気へと溶け、やがて弾丸を形作った。
対する怜雄は、その様子を見届けることなく、一気に肉薄していく。
その目前にまで迫るシンメトリを意に介することなく、怜雄は強引に彼我の距離まで迫ろうとする。
そして。
海斗の創り上げた魔弾が、怜雄を貫かんとして。
それさえを飲み込むほどの圧倒的な火焔が、煌々と夜に太陽を咲かせる。
「なっ!?」
夜目に慣れすぎた海斗にとって、その火焔はあまりにも眩しすぎた。
そんな絶好ともいえる機会を、まさか怜雄が見送るというはずもない。
「肉を切らせて骨を断つ、だったか」
ごっ、という鈍い音が頭に響き、その衝撃でバランスが崩れた。
どうにかもがこうとはするが、視界の融通が利かない分、立っているのか倒れているのかさえ分からない。
「……最後に一つだけ問いたい」
その中で聞こえる声は、酷く冷たくも感じたが。
「なんだ」
「貴様は何故、足を失ってもなお立ち上がろうとする?」
……。
そんなことか。
「納得できないからさ。そんな結末に、こんなどうしようもねぇ結果が、バカバカしくて仕方ないからに決まってるだろ」
ここで倒れたくはない。
こんなところでは、まだ奈留への誓いの半分さえ果たせていないのだ。
だから、オレは無様であろうと立とうとしてる。
「お前はさ、もし大切なものが守れるすぐそばにあるってのに、それを諦めるのかよ――?」
オレは立つ。
それでも、立っている。
倒れても。ぼろぼろになっても。どんなに醜いことをしようとも。
生きている限り、死なない限りは、足掻かなければ何もつかめない。
「それが、オレだ」
どす。と、最後に振るった拳が力なく怜雄の腹を突き刺した。
たったそれだけで、オレの意識はごっそりと闇の中へと削り取られる。
――ああ。
オレは、負けたのか。