罪業を背負う者
目が覚めて、目の前に男がいたときの絶望感といったらなかった。
それがオレを容赦なくぶん殴った相手なんだから、目覚めは最悪の気分だ。
周囲は瓦礫の目立つ広い平地。
だが、どことなく見覚えがあるのは旧市街のどこかだからなのかも知れない。
「そちらの準備は整ったかい?」
と。
やけに芝居がかった男の声に、嫌でも現実を認識させられる。
せめて文句を言いたかった怜雄も、こちらが押し黙るほどの殺気を放っていた。
その背後に寄り添うように立つのは、汐音。
ただでさえ出で立ちが良いというのに、ここまで来ると当てつけのような何かを感じてしまう。
立ち上がり、身体が満足に動くことを確認する。
まだ目眩はあったが、贅沢は言ってられない。
「寝かされたと思えば叩き起こされるわ、こっちの気にもなれ」
いやみったらしく、吐き捨てる。
じっとこちらを見つめる視線は、二つ。
まったくこちらを意に介した様子のないぞっとするようなヤツと、外国風の顔立ちをした聖職者風の男だ。
……どうでも良いが、長身というだけで腹が立つ。
「はは。キミにもようやく因果が回ってきたようだね、そんな少年が唯一の供とは」
じろり、と舐めまわすような視線に、背筋が凍りつく。
何度か格闘術で手合わせをしてきたからこそ、相手の強さというものがなんとなくつかめるようにはなっている。
だが。こうも圧倒的に『違う』と認識できる相手は今の今までいなかった。
かさかさに乾いた喉からは、ただ空気が漏れるばかり。
「そう悲観するものでもない。強い弱いで全てが決まるなら、お前はいつだってオレを殺せただろう」
「ふむ?それは過小評価というものだよ。キミはキミで異質なんだ」
勝手に弱いとか言われてるが、事実その通りなので言い返しはしない。
そもそも、オレがこんな場所にいることだって間違いなのではないかと思えるほどだ。
いくらシンメトリがあると言っても、オレは未だにこの力を掌握できているワケじゃない。
使い方を知っている。だが、それをどう活かすかをわかっていない。
「どうだかな。だが、オレ達のやったこともあながち無駄ではなかったらしい」
そう言って、どこか愉しむようにこちらを眺める怜雄。
どういうことだよ、と問いたかったが、まあいい。
どんな相手であれ、頼られる気分ってのは悪くないのだ。
「キミが守ろうとした未来が、こんなにもくだらないのに、まだそんな戯言を吐くのか」
滔々と、陶酔するように男は語る。
「キミの手によってディストピアのシンメトリは死んだが、ユートピアまでもが失われた。そうして生まれたのが、この半端な世界だ」
どこか遠い過去に思いをはせる子供のよう、純粋な狂気で。
「誰もが平等に無価値だった!誰もが平等に無意味だったのに、それを壊してもなお、人はこうも弱いままでしかないのだ!!」
だが。
そんな御大層な言葉を聞こうと、オレには分からない。
オレはバカだから、わからない。
「なぁ。ならテメェは自分で何かを変えようとしたのか?」
バカだから、そんなくだらないことをわかろうともしない。
「人間ってのはさぁ、一人で歩くことなんかできねぇくらいに弱い存在だ、そんなことはわかりきってる!」
テメェなんかに言われずとも、知ってる。
「でも!オレ達は支え合える!一緒の道だって歩くことができる!」
奈留がオレを赦してくれたように。
たった一つの過ちを背にしても、変わらないものがある。
ああ、クソ。お前もそんな表情で頷くな。
そうやって人の選択を嗤うお前には、お前なんかには絶対にわからない感情だろうから……教えてやるよ。
「オレ達は――歩いて行ける!」
ずっと突っ走らなくても良い。走りつかれたのなら、少しだけ休んだって良い。
その選択の先に、叶えたい未来があるというのなら――
「どれだけ間違えようと、どれだけ醜くかろうと!歩くことをやめない限り、誰にも夢を笑わせやしないッ!!」
それが、オレの覚悟だ。
「だから言っただろう。そう悲観するものでもない、と」
互いの覚悟を、互いに背負って立つ。
これが、オレ達の選択なのだ。
「ああ――嗚呼、嗚呼ッ!やはり、人間は斯くも美しいッ!!」
嗤う男を他所に、怜雄はいきなり最大火力を放つ。
燦々たる破砕音と爆砕の嵐。その余波に思わずたたらを踏む。
あまりの容赦のなさに思わず声をあげてしまいそうだったが、敵にはかすり傷の一つもなかった。
もはや、出し惜しみは無しだ。
空気へと溶ける銃に、弾丸を込めるイメージを指先に集める。
オレの隙を見抜くように前へ出てきたのは、白髪の聖職者だ。
思わず、動揺して、「なんてなッ!!」
叫ぶのと同時、裏拳を見舞う。
まさか近接されるとは思ってもみなかったのか、拳は見事なまでに頬を抉り、わずかに距離を引きはがした。
だが、その体格差のせいかダメージは思ったよりも少ない。
にやりと笑っている顔が腹立つが、下手な攻めは手の内を明かすだけだ。
「……ちっ」
なんだって貧乏くじを引かされてる気はするが、あの良く分からんヤツを相手にするよりは良い。
怜雄のことは気になるが、アイツは放っておいても平気だろう。
信頼ってのは、そういうもんだ。
「その動き、あの警官に似てますね」
「あぁ?」
またくだらない話でもするのか?と思ったが、様子がおかしい。
けたけたと喉の奥で気味悪く笑う男は、さもおかしそうに話はじめる。
「まったく、あの警官には手を焼きました。神による審判を拒絶するだけではなく、この私に手傷を与えるとは」
ですが。
「もっとも。今は既に、」「うるせえよ」
ああ、ダメだ。
やっぱりダメだった。
オレは考えるよりも先に身体が動いちまう。
渾身の力でぶん殴ったつもりだったが、やはり敵にはほとんど有効打になっていない。
どころか、さっきから攻撃も防御だってしていなかった。
考えたらダメだとは思っていたが、止まらない。
コイツは、どうやらオレのことを敵とさえも認識していないらしい。
「ごちゃごちゃごちゃごちゃ、テメェの頭には神様ってのが詰まってて大変みてぇだな」
まったく。
「もちっと、楽に考えてみろよ!」
引き金を引き、撃鉄を起こす。
それは外側にではなく、内側にある力を押し出すための撃鉄だ。
ぐしゃり、というやけに生々しい音と、何かがひしゃげる音が頭まで響く。
「が、ハッ!?」
何が起こった!?と驚愕の眼差しで退く男に、オレは追い打ちをかける。
もう一度、引き金を引き絞る。
そうして押し出されるのは、オレ自身の身体だ。
景色すら置き去りにする世界の中、オレはただ狂ったように拳を突きだすだけ。
たったそれだけで、弾丸となった拳が身体の一部を致命的なまでに射貫く。
「く、あ――この私に、神の代行者たる、私にィぃいいいイッ!!」
だが。それでも相手は折れない。
関節まで狂った男は、されど止まることを知らなかった。
「arcanum,perficio!!」
『 言葉。それは神が与たもうた神秘。 言葉。それは人が神へ願う寵愛の証。 言葉。それは人へ与えられた原罪。 』
閃光が、世界を包む。
それは日輪の具現。この世あらゆる万象を溶かしつくす灼熱の顕現だった。
だが、拒む。
それが神であろうと、絶対であろうと。
「神なんてもん、オレがぶち壊してやらぁあああッ!!」
弾丸を創る。
ただ、一心に想う。
絶対に砕けることのない意志を。絶対に砕けることのない覚悟を。
ただ、一心に願う。
幸せを形作るのは、他ならぬ自分自身であるのだと!
たとえそれが神と呼ばれるほどのものであろうとも。その存在が間違っているのなら、オレは神にさえも仇なす。
撃鉄を、起こす。
狂信を覆す弾丸の色は、ただ美しい銀色。
それは日輪を天使の羽のような何かへと変貌させ、やがて男を貫いた。
「――ぁ」
もはや声にならぬ声の中で、男は何を願い、何を想ったのか。
「それが、人を殺すってことだ」
そんなものは知りたくもないが、ただそれだけを吐き捨て、踵を返した。