嵐の前の静けさ
もはや何度目とも分からない溜息が漏れた。
いや、むしろ今こうして生きていることが夢なのかとさえ思ってしまう。
悪い夢でも見ていた。いっそそう言ってくれた方がまだマシというものだ。
そして、気づけば放課後。言い訳の余地はなく、オレは授業をサボったことになる。
結局のところ一輝は見つからず、災難に恵まれるという結果に終わってしまった。
「そう落ち込まなくても良いでしょ?一輝ちゃんも帰ってきたんだし、行動に失敗なんてつきものじゃない」
と、慰めている積もりなのか、そんな奈留の言葉が落ち込んだ背中にかけられる。
というか、むしろそのくらいなら落ち込むことはないのは奈留も分かっているだろう。
「旧市街で、何かあったの?」
話すべきか、それとも黙っておくべきか。
確かに、アレのことを奈留に話して、そんなことはあり得ないと笑い飛ばしてほしい。
だが。
話してしまえば最後、彼女にさえ危険が及べばどうなる?
オレはともかく、わざわざ被害を増やすようなことはしたくない。
「…………悪い、話せないんだ」
「そう。もしかすると、私を巻き込むかもしれないから?」
「そこまで分かってるなら、わざわざ訊かないでくれ」
そう?と、空とぼける奈留。
ただ、奈留はくるりと回って見せて、オレの顔を真正面から覗き込んできた。
「深刻な顔。らしくないよ」
「そう、か?」
「海斗はさ、もうちょっと素直になるというか、バカになることを覚えたら?」
いや、バカって。
どういう意味なのか、と尋ねようとして、奈留があっ、という声をあげる。
そちらの方を見てみると、ムスっとした表情の一輝が突っ立っていた。
「よ、奈留。心配かけたな」
「一輝ちゃんっ!」
なんて、新しいぬいぐるみでも見つけた子供みたいに駆けだす奈留を見送る。
小柄な一輝に対して奈留は一回りか二回りは大きい。
そんな奈留が一輝を抱きしめると、本当にぬいぐるみでも抱いているように見えるのだ。
犬みたいに頬ずりする奈留を無理矢理引きはがすこともせず、一輝は少しだけ恥ずかしそうに眼を逸らす。
「はー。やっぱり柔らかくてすべすべで羨ましいよぉ……!」
「……流石に暑苦しい」
一輝の苦言が聞こえているのかいないのか、一人で勝手にテンションを挙げていく奈留。
軽く、というかかなり視線を集めているが、まあいつものことだ。
それにしても、どうしてコイツはわざわざ旧市街に行っていたのか。
コイツを探すためとはいえ、妙なヤツに二回も出くわすなんて、オレの勘も鈍ったものだ。
「ああそうだ。ちょっと人を待っていて、そこにいるおまけは?」
「おまけ扱いかよ……どうせなると一緒に帰る予定だったし、少しくらい時間が取られても良いが」
せめて、少しでも情報が欲しかった。
あれだけの脅威と出会ってしまって、知らんぷりを決め込むにはあまりにも危険だろう。
親父なら――いや、冷静に考えてみれば誰でもわかるはずだ。
「オレも行くよ。他人事ってワケでもなさそうだしな」
「いや、まったくの他人なんだがな」
そんなつっけんどんな一輝の言いがかりに、こちらも堪忍袋の緒が切れる。
この小さいのに、そろそろ部を弁えることの大切さを教えなくてはならない。
「おいおい、お前を探しに行ったのはオレだ。感謝されこそすれ、邪険にされる覚えはないぞ」
「はっ。アタシが探してほしいと言ったか?勝手にやってきて勝手に何かしでかすのは、決まってお前だろ」
「そんな厄介事の種を持ってくるのがお前なんだよ!」
やいのやいのと売り言葉に買い言葉と、オレと一輝は互いに譲らない。
やかましい言い争いを楽しそうに眺めていた奈留が、軽く手を打った。
喧嘩はそこまで。
合図を皮切りにして、オレも一輝も渋々と口を閉ざす。
「はいはい。二人とも言い分は正しいけれど、どちらも正しくはないわ。せめて言葉にするだけで落ち着くなら、それで終わりにしましょ?」
「そうだな、そっちの小さいヤツが始めた気がするんだが」
……あ、コイツ、オレが一番気にしていることをっ!
「そう海斗を苛めるものじゃないわよ」
もう一度口を出そうとして、奈留の一言に止められた。
ぐっ、と奥歯を噛みしめて、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
「いや……単に嫌いなんだが」
「ふふっ。それじゃあ、そういうことにしておくわ」
なんて、含みを持たせてこちらを見る奈留だが、オレは一輝の言うとおりに嫌われている。
どうして、なんてわかったもんじゃない。
「まあともかく、近くの喫茶店で待ち合わせにしてる。あんまり時間もないし、早く行くぞ」
「……ところで、誰がお前なんかに頼みごとをしたんだ?」
「それは会ってからのお楽しみだ」
なんて、一輝はやけに意地の悪い笑みを浮かべていた。