分水嶺
剛健と別れ、およそ一日をシェルターと呼ばれる施設の中で過ごした。
いつのものかもわからないが、設備としては申し分ない。
……だが、腑に落ちない。
どれもこれも手つかずで残されている。その一点がやけに気に入らなかった。
「もともとは何かの施設だったのだろうか」
問うてみたところで、自分の声が返ってくるだけだ。
どうせ答えの出ない問い。
妙な名残惜しさを感じながらも、オレは思考を放棄する。
ここで十分な休息と食料を得られた。今はそれだけが結果なのだ。
気を取り直して、これからの方針を定めていく。
目下の問題はあの機体兵科小隊と名乗った謎の人物と、その構成員と思われる機械の敵だ。
ふと、昨日の襲撃を思い出す。
思い直してみれば、あの襲撃にはどうも奇妙な点が多すぎる。
まず一つ。
それはこちらがシンメトリであるという事実を既知であるのに、あえて不用意な戦闘を行ったことだ。
あの場には不確定要素となる剛健もいた。
仮にも国家を束ねるような組織である警察に、わずかでも情報をもたらしたという事実は、どうにも裏を感じざるを得ない。
それが考えすぎであるなら良いが、万が一に備えるのであれば、今はどうにかして情報を集めておきたかった。
いや。
そこまで考えて、それそのものが罠である可能性に行き当たる。
「……気味の悪いものだ」
本能が警戒している。
理屈や理性などではなく、ただ漠然とした不安が真綿のように絡みつく。
この感覚を知っている。知らないはずなのに、知っている。
わずかな頭痛に頭を抱えるが、それもすぐに止む。
「まだ、不完全ということか」
どうして自分がこの場にいるのか。
その答えは、未だに思い出せずにいる。
さて。もう一つの奇妙な点は本調子ではないこちらを相手が一方的に排除しようとしてこない点だ。
相手は、こちらのことをオレ以上によく知っている。
ここにまでは監視の手が届いていないようだが、かといって手をこまねいているというようにも思えない。
昨日の時点で、あの人物に十分な余力があるのは想像に難くなかった。
目覚めたときの傷を思えば、あのときに襲われなかったのはただの幸運だったのだろう。
こうなると、記憶を失ってしまっているのがもどかしい。
オレは、何を成そうとしていたのか。
虚空を握りしめてみても、その手は何かをつかみ取ることはできない。
そんな空虚へと流れ込んでくるのは、破壊の衝動だけだ。
「オレは、本当に人間なのだろうか」
意味のない問いを投げかけて、瞳を閉じる。
しばらくそうしていると、遠くから物音が聞こえてきた。
それは取り囲むような形での来訪。昨日の襲撃を思わせるような統制だ。
だが。
『我々は警察だ、君は包囲されている。大人しく投降するなら、その場から出てきなさい!』
聞こえてきた声は、こちらの想像を越えた相手だった。
まるで腹の底にまで響くような澄んだ男の声は、しかしオレに危機を覚えさせるには十分すぎる。
それは、戦場の香りだ。
じわりと背中が湿り、思考が切り替わる。
理由は分からない。分からないが、この場からどうにかして逃げ出さなければならない。
ただ、そのための逃げ道がない。
おそらくは本当の意味で、オレは囲まれている。
出入口の全てに警官が張っているとは思いにくいが、どこか一部に少数を割り当てれば話は変わるだろう。
とするなら、少数の突破を狙うより他に方法はなかった。
ただし、相手を傷つけるような真似はできない。
そうなれば、本格的に警察がオレへと介入してくるだろう。それだけは避けなければならない。
何故、などという余計な思考を廃し、ともかく近場の道へと注意を向けた。
たった一人、単騎でこちらへと向かってくる何者かがいることを確認する。
その相手は、オレの良く見知った相手だ。
「昨日ぶりだな、坊主」
「……っ」
相変わらず余裕のある笑みを浮かべているが、その眼光はこちらを射すくめて放さない。
できることなら、会わずに済むに越したことはなかっただろう。
じわりと頬を伝う脂汗を知ってか知らずか、剛健は世間話のような気軽さで話はじめる。
「昨日、この周辺で焼死体が見つかった。原因は不明、遺族やその場の目撃者などを洗い出し、目下調査中だ」
淡々と語られていく、オレの知らない事実。
こちらの一挙手一投足を見逃すまいとする剛健に、思わず身を引きそうになる。
「明らかな『異例』の事態……そして証言のどれも長身の男を見たというものだ。心当たりは?」
「――いや、ない」
なんとか、それだけを答える。
たったそれだけのことだが、今は針の筵に放り込まれたような気分だ。
「まあ、そうか。そうだろうな……となると、ここが分水嶺になるな」
「どういうことだ?」
さっきから、剛健の口ぶりはやけにこちら寄りだった。
まるでオレが捕まると困るとでも言うような、そんな雰囲気すらある。
「未成年にこんなことを頼むのはバカバカしいんだが、こちらに協力をしてほしい」
「なに?」
「お前が囚われると、色々と身動きがとりずらくなる。それは真犯人にとって好機を与えるのと同義だ、違うか」
剛健の言わんとすることを、オレは察する。
この人物は、なんらかの方法かはわからないがシンメトリというものを知っている。
知っていてなお、オレに対して協力を要請してきた。
「この場から逃げられる手立てがあるとは思えないが」
「まあ、そこはな。榊のヤツに話を通してある」
ふむ。
どのみち、こちらは剛健を信用する以外に道などない。
これを罠としたところで、それはメリットを自らどぶに捨てるようなものだ。
「ここから先、下水道を使った小施設がオレの突入ルートだ。決して間違えてくれるなよ」
そんな軽口を残して、剛健は闇の中へと再び消えていく。
間もなく、警察の突入が始まるのだろう。
オレは、意を決して剛健の後を追うことに決めた。