r09
五限の後もC組を見に行ったが、さしたる変化はなく、六限が終わり、放課後になった。
C組までやってくると、A・B組もそうだったが、人の出が多くなっていた。みな、それぞれの部活へ行かなければならないのだろう。
人が蠢く中で、休み時間をかけて見てきた中心付近の席に視線をやった。けれどもその席の主はおらず、机に椅子が押し込まれていて多少動揺した。下校したのだろうか。そう思い生徒玄関に向かって走ることも考えたが、まずは人に聞いてみたほうが良いだろう、と思い直して気を落ち着けた。
今しがた出入り口から出てきた男子生徒に声を掛けてみた。すると、風采が上がらない男子生徒は、俺の顔を見て何かに気づいた様子で、
「君、SHRの前に扉の前で突っ立ってただろ?」
と、訳知り顔をして訊いてきた。
そうか、顔を覚えられていたか。そう思いながら頬をかいて質問に答えた。
「ああ。三日月さんにちょっと用があって」
それを聞いた中肉中背の男子生徒は、途端にいやらしい顔つきになり、
「ははあ。君もああいうのが好みのタイプなわけか。まあ、わかるよ。僕も容姿だけなら三日月さんは良いと思うからさ」
阿るようにそんなことを言った。続けて男子生徒は、
「でもね、性格がだめだね。どこかお高く止まってるっていうかさ、何を考えてるかわからないし。あれかな、腹黒いっていうのかな。いつも綺麗な作り笑顔でいるけど、あれはあれでちょっと不気味だよ」
まるで井戸端会議をする主婦のように、部長のことを論った。
俺は家族を蔑まされたような気分になり、拳を握りしめたが、聞こえないように息を吐き、力を抜いた。
冷静さを取り戻すと、情報収集のために言葉を継いだ。
「でも、評判はいいだろ?」
悠がそう言っていたはずだ、と考えながら訊く。
男子生徒は、「まあね」と間の手を入れてから、
「でも、面の皮が厚いだけだよ。文字通りね。勉強ができるし見た目もいいから、心の底では周りを見下してるんだよ」
と、憚ることなくルサンチマンを吐き出した。
面の皮が厚い――つまり外面がいいということと、その外面にそつがなさすぎて気持ち悪い、という意味をかけて言ったのだろう。元の意味は違うが、鉄面皮という言葉もあるように、言い得て妙と言えるかもしれない。
「なんて言うかさ、壁が厚すぎるんだよね、彼女。よそ行きの顔が出来過ぎてて近寄りがたいっていうか」
さきほどから曖昧模糊とした表現が多く、発言にバイアスがかかっている気がする。だがそれも順当なのかもしれない。彼は部長――三日月の外面〈がいめん〉のみしか見ていない。おそらく彼女とろくに接することもなく、想像ばかりが先走ってしまっているのだろう。彼女がどういう人間かは、歩み寄ってみなければわからないというのに。
「で、もしかして用って、告ることだったり?」
しばらく無言でいたせいか、誤解が飛躍してしまったようだ。しゃべくる手合は、放っておくとこうなるから始末に負えない。
「いや、ほんとに話がしたいだけなんだ」
いまさらながら誤解を解こうとすると、にやけ顔を作り、
「ははっ、それって、告るって言ってるも同然じゃん。きみ、わかりやすいなあ」
性格まで決めつけられてしまう。どうやら上滑りの暴走は止まらないらしい。
こうなってしまっては誤解を解くのも面倒くさい。度し難いその暴走にこちらも乗っかってしまったほうが早いだろう。
「まあ……そういうわけなんだ。でも三日月さん見当たらなくてさ、もしかしてもう帰ったかな?」
後頭部に手を当てて恥ずかしそうなふりをする。事を円滑に運ぶためには、演技も必要ということだ。面の皮、というやつも、理不尽で不条理で妥協の必要な社会では、どうしても不可欠で肝要なものなのだ。
肝要。肝心。肝腎。肝心の肝を面の皮とするならば、心はそれを支える精神だろう。ならば腎は面の皮を被ることで生じる精神的齟齬(ストレス)を解消する手立てか。
余計なことを考えている間、男子生徒は記憶を手繰っていたようだ。うーん、と唸っている。
そして、「多分……」と頼りなさげに口を開いた後、
「廊下の突き当りで、階段側に曲がったから、二階か、それより上の階に行ったんだと思う」
と、有力な情報を提供してくれた。
「そっか。じゃあ上の階に行ってみるよ。ありがとう」
フレンドリーに礼を言って歩き出すと、軽佻浮薄の唾棄しかけそうになる木っ端は、「がんばれよー」と背に声を掛けてくれた。
俺は、呆れが礼に来そうだ、と苦笑しながら階段に向かって足を動かした。
さて。部長は上階に上がったらしいが、部長の行きそうなところといえば……。
一つしかないか。