第5話 魔族の女王 その②
『悪魔』という存在が、魔族に憑依するようになった。
憑依された者は、魔族のなかでも群を抜いた力が与えられーーそれこそ、気分次第で国の一つを消し飛ばすほどの力だった。
だが同時に、自分の中にもう一つの人格が現れるようになった。それが『悪魔』の本質である。
その人格は破壊衝動に駆られ、いつも体を乗っ取る機会をうかがっていた。
「一瞬でも気を緩めると体を奪われ、奪われたものはその『悪魔』の人格、本能のままに人間の国を一つ破壊した。それが魔族の初代王だった、と聞いている」
それにより人間に忌み嫌われるようになった『元人間』だった魔族は、初を筆頭に人間たちの前から姿を消した。想像を絶する恨みを心の内に抱えて。
「......と、いうのが我々魔族に伝わる昔話だ」
長々とルシフが語った言葉を一つ一つ読み取り、ナウロは一つの疑問点を述べる。
「それが理由なら、戦争はもっとはるか昔からーーそれこそ初代王がいたころから起きていたんじゃないですか?」
「....ふむ、確かに今を生きる魔族は人間たちから迫害を受けていたわけではない。しかし、過去の魔族たちの恨みはいつしか『呪い』となって二代目、三代目と続き六代目である私に取り憑いたのだ」
その『呪い』というものは魔族を束ねる王に憑依するように強制的に設定されていて、解除はできず、目的が達成されるまで一生取り憑いている、とルシフが言う。
「......ということは、その『呪い』を解除するためにこの戦争が起こった、ということですか?」
「そうだ。自分勝手だと思われても仕方ないが、どうやら『呪い』は年を重ねるごとに強くなっていく仕組みのようでな.....七代目になる頃には、その七代目の人格は完全に消し飛んでいただろう」
ルシフのした行動を正しいとしていいのか、それとも悪いことだ、と切り捨てればいいのか、ナウロには分からなかった。
ーーいつもそうだ。
いつもどっちつかずな考えをして、勝手に悩んで、答えが出ない。
正しいとすれば人間を切り捨てることになるし、悪いとすれば、これから結婚する魔族を切り捨てることになる。
もっとはっきりした意志があれば、こんな問題もすぐに答えが出たのだろうか。
「まぁ、なんだ。無理に我々を正しいと見てくれなくて良い。もうすでに『呪い』も解けたのでな」
......え?解けた?
「その『呪い』っての......もう解けたんですか?」
「ああ、ほとんどな。理屈はよく分からんが、今回の事《こと》(政略結婚)の話が進んでいくたびに前まであった体と意識の縛られるような感覚が失《う》せていったのだ。いや全く、こんな解除方法があるとはな。我々だけでは決して思いつかなかっただろう」
昔の魔族たちの『呪い』のシステムがどこかでひん曲がったのか、深刻に話した割には終わり方がなんとも呆気なく、ナウロは拍子《ひょうし》抜けしてしまった。
「最後になってしまったが、君たち人間には行っておかなければならないことがある」
ルシフは長らく座っていた椅子から立ち上がり、ナウロたちに体を向け腰を折った。ちょうど、ナウロたちに頭を下げる形となる。
「自分のため、戦争を起こしてしまい大勢の人間を死なせてしまったーー。すまなかった」
突然ルシフが謝ったことに対し、周りの護衛が驚く。
特に眼鏡の護衛が一番驚いているようだった。
「お嬢様!なにもそこまで......」
ぐい、と寄ろうとする護衛の前にルシフは右手を出し、静止のジェスチャーをした。
「いや、違うぞミカ。私はそれだけの事《こと》をした。到底許してもらえるとは思ってはいないが、悪いことをしたら謝る、というのは当然だろう?」
ミカ、と呼ばれた護衛は「ですが......」と言葉を続けようとしたがあくまでルシフのした命《めい》に従い、なにも言わなかった。
......謝った。あの人間全員に恐れられ、憎まれていた魔族が俺たちに頭を下げた。
果たして、俺はルシフを許せるだろうか。
話を聞く限りでは、いずれ即位することになっている七代目とやらの意識が『呪い』に乗っ取られ、おそらく人間は全滅するだろう。
それをルシフは、憎むべき相手と結婚し自分が犠牲になり『呪い』を消滅させることによって、これ以上余計な人が死なない道を選んだ。
だが、それまでに、俺とルシフが結婚するまでに死んでいった人間たちは直接的でないながらも、ルシフが殺したことになる。
要は『結果』か『過程』、どちらを取るかだ。
......難しいな。このロクに学も積んでいない頭でこれ以上考えると、パンクしそうだ。
今日は難しい問題ばかり出てくる。全く、どこで俺の人生はねじ曲がったんだか。
ルシフは椅子に座り直した。
「ま、というわけで、だ。話を戻してこれからどうするか、ということだが、結婚式を挙げようと思っている。
先程《さきほど》言ったように、呪いは解除されつつあるがそれは『ほとんど』だ。まだ少しだけ私の中に残っている。
『結婚に前向きになる』というのが解除方法ならば、式の一つでも挙げてしまえば完全に消えるハズだ」
最後にルシフは「どうだ、できるか?」とナウロに向けて付け足す。
『式』という言葉が飛び出してきたことにナウロは驚く。
たとえ結婚と言えどこの結婚は政略結婚。種類が違う。
互いに愛し合っているわけでもなく、双方の利益のために行われるものなので適当に籍を入れて夫婦と言えども紙面上、とナウロは思っていた。
それが『呪い』のためとは言え、律儀に式まで挙げるとは思っていなかったのだ。
「あまり長居しても時間がかかってしまう。私の城で他の者が準備をしてくれているから今すぐに行《ゆ》こう。急ではあるが、構わないな?」
「はぁ、まあ別に...構いませんが」
「ではナウロよ。近《ちこ》う寄れ。移動魔術で私の城に一気に飛ぶぞ。ミカ、頼むぞ」
ルシフの命令に横に立っていたミカ、と呼ばれた護衛が「仰せのままに」と一礼した。
言われたままナウロはルシフの近くに寄る。
近くで見てみても変わらず美人であったが、王としての威厳というか、何というか迫力というものが感じられた。
ーーウチの王とは大違いだ。ただの着飾ったおっさんにしか見えないからな......少しは見習ってほしいもんだ。
「では行かせて頂きます。初めては少々酔うかもしれませんが、一瞬ですのでご考慮下さい」
ミカの言い終わりにしたがい、彼女の両手の甲に魔方陣が出現したかと思えば、周りにルシフたちが登場した時と同じ黒い渦が出現する。
『魔力』を使用した移動魔術だったが、人間であるナウロにその原理は分からなかった。後で教えてもらおう。
「ヒトの王よ!また後に迎えを召喚する。貴様も王であるが以上この式を見届けるのた!」
やがて渦の密度が高くなっていき、返事を聞く前に外の広い部屋の景色が完全に遮断された。
ナウロは緊張感に飲まれそうだったが、それをなんとか堪えていた。
ーーー
ナウロの体感にして約5秒、ルシフ一行は城に到着した。
主に赤や黒と言った配色の装飾が多く、理由をルシフに聞いてみると「趣味だ」と彼女は答えた。
「ここらの地域は君たちで言うところの『魔界』だ。魔力濃度が高く『素質』がないものが無闇に近寄ると魔力に喰われることになる。
まあ、建物に入れば遮断されるから外に出なければいいだけの話だ」
そんな不便なところに長く居られる気はしなかったが、そんなことを言うのは止めた。流石に野暮ったいしな。
「そこの窓から外の街が見えるぞ。見てみるといい」
ナウロは言われるがまま、窓の側まで行った。彼自身も外の景色は気になっていたのでちょうどよかった。
近所の大人からナウロに言い聞かされた話では、魔界というものは真っ暗で常に夜のような感じ、魔族が本来の不気味な姿でそこらをぶらついている、などなど色々魔族に悪いイメージがまかり通っていたが、彼はそれが間違いであったことを知った。
天には青空が広がり、その晴《は》れ晴《ばれ》とした天気の下《もと》、魔族たちには活気が見られた。
ナウロのいた村の人々は皆死んだような顔をしていたが、魔族たちは皆生きていた。
一目見ただけで活気が見て取れた。
「では早速ではあるが衣装合わせ、といこうか。ミカはナウロの方を頼む」
ミカはルシフの言葉に信じられない、といった調子で驚いた。
「いいのですか!?イロウとラファじゃ役不足かと思われますが......」
その言葉に残った二人の護衛の内、一人が反論する。
「むっ、聞き捨てならないな。アタシとラファじゃルシフを着飾れないとでも言うのかよ?」
「少なくとも一ヶ月同じ服を着回すような人には難しいと思いますが」
「ケッ、いいぜ。だったら勝負だ!より上手く相手を着飾れた方が勝ち、負けた方は一週間城の中ぜんぶ掃除の刑だ!」
びし、と音付きでイロウはミカを指差す。その上げられた罰ゲームに、ミカはふうん、と悪い笑みを浮かべる。
「いいでしょう。その勝負、受けて立ちます。その罰ゲーム、しっかり覚えといて下さいね」
ミカが威圧の込もった笑みを作る。
この間ナウロは完全に空気で、勝手に自分とルシフをお題にした勝負が持ち上がったことに呆れていた。仲良いなこの人たち。
「ラファもなんか言ってやれ!お前だって、言われっぱなしで悔しいだろ!?」
今までずっと沈黙を決め込んでいたラファ、という名の護衛がイロウの方を向いて言う。
「イロウ......本当に、バカ」
数秒ほどの沈黙が訪れる。
ラファは悟っていた。
この城の家事を担当するミカが、一ヶ月同じ服を着るような奴に負けるはずがない、と。
そしてイロウには、一切の勝ち目がないことを。
「さーて、行きましょうナウロ様!あの二人を負かしてみせましょう!」
ナウロは意気揚々と話すミカに背中を押され、そのまま衣装部屋まで案内された。
イロウはラファの無慈悲な言葉に固まったままだった。