第二章:血の契約――3
☆ ☆ ☆
「正体がバレた? ヘマを起こしたって話じゃないよな?」
政が、深刻そうな面持ちで、再び尋ねてくる。
つくづく、物分かりのいい人だと、ドグマは思わず笑みを零した。
魔導司書に取って、正体が暴かれることが死活問題だと、彼は短い説明で理解したのだろう。
そうでなければ、ここまで真面目に心配してくれない。彼は、魔導司書が代々身を潜めながら生きてきたことに、気付いているのだ。
政が続けた。
「じゃなければ、とっくの昔に魔導司書は、搾取され尽くしているだろうし……。何か原因があるんだろう? 恐らくは、キミたちにはどうしようもない原因が」
魔導司書は、正体を隠しながら現代まで生き延びてきたのだ。
見た目から中身まで人間と瓜二つ。唯一、遺伝情報だけが異なった存在。それが魔導司書だ。だからこそ、人間の振りをしながら人間社会で生活することができた。
それができなくなったのは、政が言うように、原因があるからだ。具体的に言えば、社会側に。
首肯をしながら、ドグマは告げる。
「政なら、〝ゲノム解析〟もご存知でしょう」
「ん? ああ、オレも受けたことがあるよ。遺伝情報〝ゲノム〟を解読することで、個人の素質を導き出す技術だろう? お陰で、〝神霊魔術〟の才能がないことが分かって、泣き寝入りしたことが――」
政が、途中で言葉を失う。はっとした表情だ。
「ドグマ……!」
「そうです。ゲノム解析は遺伝子の情報を読み解く技術。魔導司書が、特異な遺伝子を持っていることさえ、解析されてしまうんです」
嫌な時代になったものだと、中年染みた感想を作る。
どうやら、彼も近代技術に泣かされた経験があるらしい。
便利なのか残酷なのか分からなくなってしまう。遺伝情報一つで、運命が決められるのは、身勝手なものだと。
「いや……、でも、ゲノムは究極の個人情報だ。解析にしたって、拒否することもできるだろう?」
政の意見はもっともだ。
遺伝情報とはその人の設計図だ、と比喩される通り、ゲノムを解析するだけで知能・性格・外見・体質のほとんどは、高確率で予見されると聞く。
だから、究極の個人情報であるゲノムには、当然ながらプライバシーが適応され、政の言葉通り、ゲノム解析には拒否権がある。
だが、
「寧ろ、拒否したことが決定打だったんです。考えてみてください。何故、ワタシがゲノム解析を受けなければならなかったんでしょう?」
確かに。と政が呟く。下唇に指を当てながら。
「キミの方からわざわざ解析して貰う理由は、どこにもない。拒絶するべき立場だからね。――だったら、もしかして……」
「はい。申請された側。だったんです。名目上、遺伝子の研究のために協力を、と言われましたが、実のところワタシは何者か、大凡の目星は付いていたのでしょう」
過去の〝一〇〇〇(サウザンド)ゲノムプロジェクト〟を筆頭として、遺伝子研究が加熱を得た、近代社会だ。
自分に対する申請も、研究を理由としたものだったが、余りにも偶然が過ぎる。
恐らく、事前に下調べを済ませ、六割方以上、こちらが魔導司書だと気付いていたのだろう。
だが、確証がない。そこで仕上げとして、遺伝子情報提供の申請をしたのだ。
その真意は、
「なるほど。拒否したことで、疑いが確定に変わったってことか」
つまりは、政の予測の通りだ。
重々しく一呼吸。間を開けて、
「じゃあ、キミは追っ手を振り切るために?」
「はい。ドイツからかなり離れていて苦労しましたが……」
「ド、ドイツ? 逃走するにしたって遠すぎないか? ここ、日本だぞ?」
政の表情が強張りを得た。確かに、祖国があるヨーロッパから、極東アジアの日本までは、距離的に遠すぎる。
しかし、理由もなく日本まで逃げてきたのではない。
「ですが、法陣都市の存在は、世界にも類を見ませんから」
ドグマは、どうしても法陣都市に辿り着かなければならなかったのだ。
「そこまでして法陣都市に来たかったのか? 観光……の訳はないか」
首を捻り、思考の唸りを発する政に、ドグマは苦笑を向けた。
当然、観光目的ではなく、探し人がいたからだ。と言っても、個人ではない。
「もちろん、理由ならあります。ワタシは〝契約者〟を求めにきたのです」
「契約者?」
頷きを一つ返して、
「魔導司書本人は、己の魔導書を用いることはできないのです。飽くまで、ワタシはDNAコンピュータ。つまり、OSに過ぎません。ですから、入力と出力を担当する、パートナーが必要なんです」
「ユーザーってことか?」
「その通りです。そのユーザーを契約者と呼びます。が、誰も彼もが魔導書を扱える、と言うことでもないもので……」
たとえ話をすると、現代人は全ての仕組みを把握せずとも、スマートフォンを扱えるだろう。
これは、ある程度〝スマートフォンとはどう言うものか〟が、分かっているから使えるのだ。
では、タイムマシンで時代を遡り、原始人にスマートフォンを手渡したとする。果たして、彼らはスマートフォンを扱えるだろうか?
「つまり、魔導司書の能力を発揮するには、最低限の魔術知識を要する。だから、キミは法陣都市を訪れた」
「はい。法陣都市では魔術は一般知識だと耳にしまして」
法陣都市は魔術の街らしい。中学生以上。場合によっては小学生でも、魔術知識を備えていると聞く。
だから、ドグマは苦労してでもここまで来たのだ。
「要は、魔導書の力を引き出せる契約者を見付けて、自分のことを守って貰うって見立てかな?」
大変だな。と彼が労るような顔を見せながら、
「契約者を見付けないと、ずっと逃げ回ってばかりだろうし……」
と心配そうに思慮をする。
「いえ。もう、大丈夫です。契約者は見付かりました」
しかし、ドグマは笑顔で答えた。ただ、政を見詰めて。
「本当か? それは良かったな、ドグ……マ……?」
自分事のように喜んでくれた、政の台詞が後半失速する。
多分、こちらが、満面の笑みで期待を込めて、見詰め続けているからだ。
「ええ……と、ドグマ? まさかとは思うんだけど、契約者って?」
ドグマはただ、政に笑みを向ける。政だけを見て、こちらの心を読み取って貰うように。こちらの気持ちに気付いてくれるように。
「……マジ?」
「マジです」
政の口角が、僅かに引き攣った。