第二章:血の契約――5
☆ ☆ ☆
「それでは、早速〝血の契約〟を行いましょう!」
これまでで最高値な、満面の笑み顔で、ドグマが平手を合わせる。聞き慣れない、専門用語とともに。
「〝血の契約〟?」
「契約者が、魔導司書の力を引き出すために必要な……まあ、ユーザー登録のようなものです」
なるほど。魔導司書と契約者の関係性は、OSとユーザー。
つまりは、新品のパソコンにユーザーとして認証されるため必要な、手続みたいなものだろうか?
思っていると、考える暇を与えたくない、と言わんばかりの性急さで、ドグマが続ける。
「では、政? 目を閉じてください」
「は? え? ユーザー登録って、ブラインドでやるの?」
「良いから良いから」
どこか嬉しそうなドグマが、逆に不気味だ。またしても何か企んでいるのか?
不安に思いつつも、彼女の声に従って、政は瞼を降ろす。
「で、オレは何をすれば良いんだ?」
「そうですね、ちょっと顎を引いてください」
言われるままの動作を取る。自然、頭が前に傾き、頷くような姿勢になった。
「そこで止まってください。良いですか? そのままですよ?」
闇に覆われた中、ドグマの声が、やたら近くで聞こえる。
瞼を閉じる直前の位置関係で考えると、真正面にドグマがいた訳だから、多分身を乗り出して、こちらへと顔を近付けているのだろう。
鼻腔に、柔らかく甘い匂いがする。シャンプーか何かだろうか? と言うことはドグマの頭が真正面に――、
次の瞬間。唇に柔らかい感触がくる。
…………は?
そして気付いた。
よく考えたら、この位置関係この体勢で、男子と女子が顔を近付け合って、やることって一つじゃないか?
「ん……」
ドグマのくぐもった声が、至近距離で聞こえる。唇に触れている柔らかい何かが、同じタイミングで震えている。
恐る恐る目を見開くと、こちらの予想を裏切ることなく、ドグマの顔が直ぐそこにあって、それはつまり……、
――キ、キキキ、キス――!?
しかも先ほどから、唇をこじ開けるように、何かが蠢いている。内心で政は叫んだ。
――ま、待て待て、ドグマ! 出会った初日にそれは流石に倫理的に――っ!!
お構いなく、それが口腔に侵入してきて、ビクリと身じろぎした。
ヌメッとして温かく、口内を弄るそれの正体は、当然ながらドグマの舌だ。
互いの舌が絡み合い、粘着質で湿った音がする。この行為は、俗にディープキスと呼ばれるもの。
意識が溶けてしまいそうになる。噂には聞いていたが、こんなにも背徳感溢れる気持ちよさは、体感した例しがない。
逃れようにも、ドグマが首に手を回していて、それすらも敵わなかった。
胸の鼓動が尋常じゃない。思考回路が蕩けておぼつかなくなる。
気付けば、こちらも舌を動かし、ドグマのことを貪っていた。
「ん……ちゅ、く――ふ……」
息遣いまでシンクロしてくる。
ヤバいかもしれない。否、もうヤバい。このままでは、自分はとんでもない過ちを犯すのではないだろうか?
思ったときだった。口の中に、鉄の味が広がったのは。
それが、血の味だと分かった瞬間。
「――――っ!!」
抽象的な表現で言うと、ドグマを理解した。
もちろん、イヤラシい意味ではない。誤解されて然りな状況だから、具体的に言っておく。
ドグマの魔導書〝理の書〟の全てと、魔導司書たる彼女の扱い方が、頭の中を巡り巡ったのだ。
「……ちゅ……」
惜しむような音を立て、唇が離れる。
混じり合ったお互いの唾液が糸を引いて、舌と舌を伝う。
僅かに涙を蓄えた、潤んだ瞳でドグマがこちらを見ている。朱に染まった顔を幸せそうに歪めて、満足そうに吐息を漏らした。扇情的過ぎて、おかしくなりそうだ。
「ド……グ、マ……? キ、キミは……何を……?」
意識が飛びそうになるのを。彼女を押し倒し、もう一度唇を重ねたい衝動を。必死に堪えて、荒い息のまま尋ねる。
同じく、荒い息遣いと蕩けた眼差しを向けながら、それでも確かな声色でドグマが答えた。
「口付けは、契りの儀式です。儀式によって、血液の情報を読み取り、理解して貰うこと。……それが、〝血の契約〟」
ふふ、と異様に大人びた、エロティックな微笑みを浮かべて、
「こんなに、……気持ちが良いとは、思っていませんでしたが」
政は、無理矢理息を吸って、酸素を脳内に循環させた。流石に悪ふざけでは済まされない状況だ。何より、男として余りにも情けない。
「キ、キミは、何をしたか、分かってるのか? 情けない話だけど、オレ、ファーストキスだぞ!? そ、それがいきなり、ディープ……」
「ワタシも初めてですよ?」
「じゃあ、なおさらだろぉ――――っ!!」
口角を引き攣らせて、怒鳴ると、ドグマはむっと頬を膨らませて、
「政も、求めてきたじゃないですか。あんなに激しく」
「何で、オレに非があるように言うんだ! キミも少しは貞操感を持ってくれ! 好きでもない男と初めてのキスを……」
「好きでもない人と、しないですよ」
ドグマの表情が本当に不服そうで、言葉を失った。加えて、彼女の台詞が意味することを考えて、思考が固まる。
まるで、まだ気付かないんですか? と訴えるように、緋色の瞳が見詰めていた。
「な……、そ、そんな、冗談だろ? オレとキミとは、出会ってから――」
「運命の人との出会いは、唐突で、そこに時間など関係ないのですよ? 政?」
馬鹿な。これではまるで、B級の恋愛小説じゃないか。まさか、そんな都合の良い話が現実に、
「信じて貰えませんか? だったら、何度でも繰り返します。一〇〇回でも、二〇〇回でも、三〇〇回でも。政が信じてくれるまで、――好きだと」
それでも、ドグマは告げた。さも当たり前のように。
「これから、いくら時間が掛かろうと、政が〝好きだ〟と言ってくれるまで。ワタシの思いを信じてくれるまで。ワタシは好きだと伝え続けます。覚悟してくださいね?」
まるで、目標を見付けた挑戦者のような、活き活きとした表情で、ドグマが言う。
だが、心臓の音が邪魔をしたのか、それとも、思考回路が焼き切れたのか、彼女の言葉の意味が、理解できなかった。