第三章:空の書、理の書――1
☆ ☆ ☆
〝生活区画三番地〟にあるスクランブル交差点では、人の気配がすっかり希薄となっている。
近くの量販店の、壁面に備え付けられた投影モニターが、緊張感のないコマーシャルを流す中、蓮葉哲也(はすばてつや)は舌打ちをした。
辺りを飛び交う〝天空車両〟が大気を乱し、生まれた風が、こちらの黒い半袖ジャケットをはためかせ、オレンジの跳ね髪をなでつける。
真っ赤な車両は、宛ら災厄の象徴たる炎にも似て、火の粉が降りかかるとはこのことか、と妙な関連付けを覚えた。
舞い踊る人災たちは、陣形を組みながら、
「キミたちの行為は、〝法陣都市〟の秩序を乱す、劣悪なものである。今すぐ、一切の抵抗を止め、大人しく投降しなさい!」
とこちらを戒めてくる。
全く、どんな神経をしているんだ。抵抗も何も、こちらは無抵抗を貫いてるだろう。
哲也は思わず、スラングで罵りそうになって、口を噤む。
下手なことを口走っては、隣にいるパートナー〝フィロ・ネッテスハイム〟の立場が危ぶまれる。
既に、フィロの翡翠色の虹彩には、不安の陰りが見えていた。
フリルで飾られた青のジャケットを身に纏い、緑のショートパンツを穿いた、大人しい少女だ。
第三者が目にしても、感情表現の乏しいフィロの顔つきからは、恐怖感は見出せないと思う。が、出会ってから一〇年以上経つ、哲也には分かっていた。
フィロが重度の恐がりであることはもちろん、〝ファレグ隊〟の執拗な追走に、酷くストレスを感じていたことも、遂に包囲されて、その恐怖が最高潮に達していることも。
肩まで届く、水色の癖っ毛をクシャリと撫でると、幼なじみで、パートナーで、彼女でもある〝魔導司書〟の少女は、ビクリと震えを見せた。
「心配すんな、フィロ。何が起きても、俺はオメエを見捨てたりしねえよ」
「……ん。あたしも、頑張る」
「ああ。……まずは、あの税金泥棒どもの勘違いを……」
と対抗策を執ろうとしたときだ。
「投降しなければ仕方がない。――発砲を許可する!」
無慈悲な命令が、スクランブル交差点に響き渡ったのは。
――なっ――!?
笑えない冗談ではないか。一体、自分たちが何をしたって言うんだ。何故、武力行使されなくてはならないのか。懇切丁寧に説明して貰いたい。
当然ながら、聞く耳持っていないだろうから、願っても無駄だ。銃口の照準は、もう、定められているのだし。
ファレグ隊の〝神霊兵器〟は二つ。
その内の一つが、今、自分たちを狙っている、拳銃型の装備品〝ファレグ・バレット〟だ。
形状は、赤いマグナムに、リボルバーの回転シリンダーを組み込んだもの。
ガンバレルに呪文が刻まれており、射出された弾丸の粒子振動速度が、〝魔術〟により高速化され、着弾時に炸裂する仕組みだ。
「――てぇっ!!」
との掛け声とともに、銃口が文字通り火を噴いた。
――マジで撃つか、普通? 抵抗なんてしてねえだろうがっ――!!
などと罵倒しようが、意味はない。賽は投げられてしまったらしいから。
だが、指をくわえて黒焦げになるつもりはない。そっちがその気なら、乗ってやろうじゃねえか、畜生め。
『シルフ・エンプレイ!』
フィロの保有する〝空(くう)の書〟の魔術を発動する。
〝DNAコンピュータ〟の高速演算により、即刻生じたのは大気流だ。
〝四大精霊〟の一角。〝シルフ〟の力を借りて生み出した、強烈な旋風は、不可視の結界の如くこちらを取り囲む。
渦巻く強風が弾道をねじ曲げ、天使の加護を受けた弾丸は、見当違いな方向へと離散。着弾し、爆発を生んだ。
「こっちもやらせて貰うぞ! 先に手ぇ出したのはそっちなんだ。正当防衛ってやつだよな!」
何より、やられっぱなしは趣味じゃない。
『サラマンダー・エンプレイ!』
哲也は、火の精霊〝サラマンダー〟に協力を要請した。生じるのは、燃焼による炎。
その勢いは、シルフの生み出す風を食らい、見る見る内に強まり、業火と呼べるまでとなった。
そして、業火たちは行く。
まるで、赤い龍のように、灼熱の顎で、飛び交う火の鳥を呑み込むために。
「くっ! 飽くまで逆らうか! ……やむを得まい。〝コール・ファレグ・アームズ〟の使用を許可する!」
――大型武装を対人戦に使用するなんて、容赦ねえな全く――!!
〝コール・ファレグ・アームズ〟。
火星の天使〝ファレグ〟の力を借りて、対象座標軸近辺に燃焼効果を強制実行する。言わば、炎を召喚する〝神霊兵器〟だ。
ファレグ・バレットが対個人戦用だとしたら、こちらは完全に対組織、あるいは、一個師団を相手にする際に使用されるもの。
見ると、盾を構える前衛の隊員たちに守られる形で、一人の隊員が大砲を構えている。
話の流れから、それこそが大型の神霊兵器だと、一目瞭然だ。
隊員は、火炎放射器とバズーカを掛け合わせたような、大砲状の兵器を肩に担ぎ、片メガネに似た〝カウンター〟で、こちらを映していた。
それが座標軸を固定する作業だ。
狙いを定め終えた隊員が、トリガーを引き絞る。
「哲也!」
「人間を、災害か何かと勘違いしてんのかよ! 狂ってんな!!」
無論、抵抗しなければ消し炭だ。だから、
『ウンディーネ・エンプレイ!』
水精霊の加護を纏い、発生する灼炎を、冷気を用いて相殺した。
四方八方から炸裂弾が飛び交い、目に見えるほど濃い敵意が、こちらに向けられていると感じる。
どうやら、自分たちはテロリスト扱いされているらしいが、冗談も休み休み言ってほしいものだ。
自分とフィロは何時も通り過ごしていただけ。普通の人間として暮らしていただけなのだ。
確かに、フィロは魔導司書だが、だからって国賊に仕立て上げられる覚えはない。彼女はただの女の子なのだから。
「第二陣構え――っ!!」
そんな細やかな願い。……否、当たり前の人権を踏みにじるかのように、二つ目の大砲が、一つ目とともに座標を固定している。
――マズい! 流石に、二つ分の出力を御する自信はねえぞっ――!!
空の書が操る魔術は〝精霊魔術(せいれいまじゅつ)〟。その出力自体は神霊兵器と同等程度だ。
同時に使役することが可能な分、個としての力はこちらが上だが、団結されては敵わない。
引き金が絞られ、周りの大気が熱を帯びていった。
『改竄詠唱(かいざんえいしょう)!』
その直後、第三勢力の声が響く。