第四章:ドグマの嘘――1

          ☆  ☆  ☆

 正午が過ぎ、太陽は傾きつつある。
 スクランブル交差点で起こったテロ騒動から、既に三時間が経過していた。

〝法陣都市〟の午後の空には、一台の〝天空車両〟の姿がある。
 形状はワゴン車に近いが、それよりは一回り大きい。車体の横に〝黎明警察署〟とあることと、その造りから、護送車であると推測が立った。

 大型四輪をモチーフとした天空車両。その後部には、六名分の人影がある。六名は、三人と三人に別れて、車両の左右に対面する形で座っていた。
 その内訳は、黎明警察署警部が一名。ファレグ隊の隊員が一名。残りの四人は善良な一般人である。

 とても矛盾しているが、犯罪者と呼べるものは、ただの一人も乗っていない。

 だが、疑わしきは罰せよ精神を適応したならば、四捨五入で犯罪者である人物。つまり、容疑者ならば大半を占めている。
 左右に別れた三人。その内、二人ずつの少年少女だ。

「護送にも、天空車両を用いるのですね?」

 不意に、その中の一人が口を開いた。
 車両の左側。紫頭の青年を左隣においた、眩いばかりの美少女である。

 彼女、ドグマは、本来ならば道を行くだけで、女優かモデルにスカウトされてもおかしくない、美貌の持ち主だ。
 しかし、眉を寝かせ、目を据わらせた、今の彼女を取り巻いているのは、正よりも負に近いオーラだった。

「法陣都市の主要交通手段は天空車両でな。公共の路線バスを除けば、自動車は珍しい部類に入る」

 ドグマの黒い気配に憶することなく、車両の右側前方に腰を落ち着ける、黎明警察署警部こと魔美が答える。

 彼女の答えは正しい。法陣都市では、〝魔術〟により稼働する天空車両が、一般的な交通手段だ。
 現代社会の自動車は、ほぼ電気自動車か水素エネルギーを用いたものであり、環境にはとても優しい。

 しかし、充電や燃料の補充が必要となる普通車と比べたら、〝魔導回線〟から自動で電力を引き出し、重力制御で駆動する天空車両は、圧倒的に便利だった。

「そうですか。それは、残念でしたね」
「……何?」

 魔美の柳眉が、ピクリと反応する。
 ドグマが、宛ら魔女に似た、邪悪な薄ら笑いを浮かべているからだろう。

「不注意だった、と改めましょう。他でもない〝理の書〟の〝魔導司書〟を、魔術で制御される車両で護送することが」
「ド、ドグマ?」

 彼女の隣に座る政が、固い声で彼女の名を呼んだ。

 ドグマは、クク、と喉を鳴らし、

「端的に言いましょうか? ワタシの〝魔導書〟を用いれば、この車両を墜落させることは造作もないことです」
「そ、そんなことが許されると――!!」
「落ち着け」

 ドグマの脅しに腰を浮かせた部下を、平然とした様子で魔美が制する。

「少しは頭を使え。これはブラフだ。この車両には当然ながら本人たちが乗っているのだ。墜落などさせて、助かる訳がないだろう?」
「その思考には、欠点がありますよ? 黒衣崎隊長」

 魔美が理路整然と告げた解答に、教師のような物言いで、ドグマは更に続けた。

「この車両には、フィロと哲也もいるのですよ? そして、二人の保有する魔導書は〝空の書〟。――〝霊脈移動〟を扱うものです」
 分かりますか?
「ワタシたち四人は、あなたたちの命を奪いながら逃走する方法を、始めから持っていたのですよ」

 車内に沈黙が満ちる。

 もちろん、ドグマの言っていること。その全てはブラフだ。
 政も哲也もフィロも、魔美たちを葬ることなど考えていない。何しろ、四人は真っ当な一般人。犯罪などとは無縁なのだ。
 だから、自ら罪を着るつもりなどないし、そんなことをすれば、魔美側。つまり、〝七柱軍〟側が強硬手段を執るだろう。

 四人の個人情報を公開するという、暴挙を。

 ドグマの告げた全ては、彼女が自作した嘘なのだ。

 だが、

「……君は何を望んでいるのかな?」

 実現可能な嘘である。だから、魔美は彼女の話を聞かなければならない。運転手を含めた、乗員全員の命が、彼女に託されているのだから。

「取引を、しませんか?」
「取引?」

 魔美が復唱する。ドグマが首肯した。満足げに笑みながら。

「先に言っておこう。我は、君たち全員を解放する気はない」

 先制攻撃を仕掛けるように、まず、魔美が言った。
 彼女は、ドグマのブラフに気付いている。本当は、彼女も暴挙に及びたくないと。だから、線引きをしたのだ。

 自分たちが、防戦一方にならないように、最低ラインを決めたのである。

「ええ、ワタシもそこまで強欲ではありませんから」

 対し、ドグマがまず言うことは、

「まずは、こちらの提供物を明確にしておきましょう。その方が、話がスムーズに進むでしょうからね」

 彼女は自分の胸に手を当てた。

「ワタシが差し出すものは、理の書の解読権と、ワタシ自身の無抵抗。その約束です」
 つまり、
「ワタシは、解読に必要となる血液を、自ら進んで提供します。もちろん、抵抗することなく」
「ま、待てドグマ! オメエ、それがどう言うことか――」

 怒号を上げ、割り込んだのは哲也だ。
 どうやら彼は、ドグマの提案それ自体に、大きな反論があるらしい。だが、ドグマは、対面する彼の目を真っ直ぐに見た。
 それだけで哲也が黙り込む、強い目だ。敵意や悪意のない、だが、覚悟を秘めた眼差しだった。

 黙ってくれたことに感謝を述べるように、悲しそうな微笑みを彼に送り、ドグマは改めて、魔美の火眼に焦点を定める。

「それで、君の要求は?」

 魔美が尋ねた。数瞬前の哲也との遣り取りを無視する、静かな調子で。

「ワタシ以外の三人。その安全と自由を保障してください」

 さらに、ドグマは言う。

「そもそも、フィロと哲也をテロリストとして逮捕するには、証拠が不十分でしょう?」

 当たり前の話だった。

 何しろ、フィロと哲也には、動機がない。否、それ以前の問題だ。
 二人は、犯罪など冒していない。完全なる冤罪であり、証拠など捏造しなければ、ある筈がないのだ。
 だから、ドグマは提案したのである。フィロに罪を着せなくても、確実に、魔導書が一冊手に入る、と。

 ドグマの交渉道具は、自己犠牲によって作られた。

「そして、政については問題にすらなりません」
「ほう? それはどう言うことかな?」

 若干、面白そうに魔美が聞き返す。
 ドグマは、表情筋一つすら動かさない。まるで、氷の彫刻のように。

「彼は、ワタシに利用されただけだからです」

blackletter
グループ名

blackletter

作者

虹元喜多朗

作品目次
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