第五章:魔女――6
☆ ☆ ☆
政には分からない。
確かに先ほどまで、ドグマは自分の呼び掛けに応えてくれた。
「ドグマ! オレのことが分かるか!?」
なのに、今の彼女は応えをくれない。胡乱げな虹彩を前へと向けて、直立と不動と無言を貫いている。
「ドグマ! 応えてくれよ! ドグマ!!」
「無茶な物言いはお止しください。今、彼女の意識は、魔美さまの下にあるのですから」
代わりに応えたのは、魔美の傍らに立つ、黒い青年だった。
彼は、一八〇はありそうな痩躯を恭しく折り曲げながら、
「申し遅れました。私は〝シャドーズ・ヴァリアンテ〟。魔美さまと〝血の契約〟を交わした、魔導司書でございます」
「なっ……!?」
告げられた言葉に、政は驚きを隠せない。
シャドーズと名乗る青年は、顔を上げて、至極当たり前だと言う表情を見せた。
「何を驚くことがございますか? 魔美さまは、魔導司書を探し続けていらっしゃったのですよ? 有益な魔導司書が見付かれば、傍らに置かれるのは当然ではありませんか?」
「有益な、魔導司書?」
そうです。と、彼は頷く。
「私の保有する〝影(かげ)の書〟は、魔美さまに取って利用価値が高かったのですよ。ですから、魔美さまは私を匿い、補佐の立場を与えてくださったのです」
「月詠政。我が如何様にして工作を行ったか、不思議には思わないか?」
続いて、魔美が問いを寄越す。
考えればおかしな話だ。彼女は、軍の方針に背きながら、魔導司書狩りを行っていた。では、それを一人で実行できるものだろうか?
テロを実行し、魔導司書に濡れ衣を着せ、捕獲する。
オールマイティーにも程がある働きっぷりだ。
この一連の作業を、個人が、誰にも気付かれることなく、完遂できるものなのか?
「それは偏に、影の書に綴られた〝魔女〟の術式あってのものだ」
「魔女の術式?」
「そうだ。その中に、〝邪眼〟と言う魔術が存在する」
邪眼とは、
「視線を交えた人物を対象とし、そのものの意識を抑制。代わりに、こちらの意志を植え付けることで、支配する術式だ」
厄介な魔術だ。
政は、冷や汗が頬を伝うのを感じた。
そして同時に、理解する。彼女が工作を完遂させたのは、邪眼によるものだと。
何しろ、対象人物を支配すると言うことは、その人物の言動を須く味方に付けることに、等しい。
「邪眼の対象人物は、一名に限定される。だが、この魔術を用いれば、一人の人物の、認識すらも書き換えることができるのだよ」
……待て。……てことは、ドグマは……?
政は、更に気付く。
脈絡なく、こんな話をすることはない。そして、先ほどからドグマの様子がおかしい。要するに、ドグマは現在――
「流石に気付いたか?」
青ざめたこちらの顔を一瞥して、魔美は呼び掛けた。
ドグマ・ルイ・コンスタンス――、と。
『改竄詠唱。錬金工業は黒鉛を生成する』
対し、ドグマが確かに首肯する。
「承諾しました。膨大な情報処理のため、発動まで一〇分前後要しますが」
「構わん。処理完了次第、実行に移せ」
「了承」
「ま、待ちやがれ、ドグマ! 何が了承だ! 今すぐ取り消せ!!」
哲也が横槍を差すが、その怒号にもドグマは耳を貸さない。先ほどと同じく、ぼんやりとした眼差しで、佇んでいた。
「無駄だ。ドグマ・ルイ・コンスタンスの意識は、我の支配下だ。彼女は我を契約者だと誤認している。加えて、我以外に対する知覚も制御済み。彼女が君たちの声を受け入れることはない」
加えて、
「万が一にも助けがくることはないと、先に告げておこう」
「どう言う、意味?」
硬さを含んだフィロの質問に、悠々と魔美は答える。
「〝管理区画〟へ通達したのだよ。――テロリストが脱獄した。捜査協力のため、及び、被害軽減のため、区画内の人払いを要請する――。とね」
管理区画は、法陣都市西部に存在する、最小の区画だ。
その役目は、法陣都市の生活管理。区画内には、〝儀式管理局〟、〝通信管理局〟、〝情報管理局〟などが所在を置く。
「そして、捜査を担当するのは、我とシャドーズの二名だ」
分かるかい? と、魔美が嘲る。
分かっているさ。と、政は歯軋りした。
管理区画内の捜査は、魔美とシャドーズに一任されている。だが、彼女たちはここにいる。と言うことは、
「管理区画内は、無人……!!」
「そうだ。つまり、非常事態が起きたとしても、それを止めるものがいない。何しろ、唯一、法陣都市を守れるであろう管理区画がもぬけの殻なのだから」
政は、目眩を覚えふらついた。
最悪だ。ドグマの魔術に対抗するならば、考えられる可能性――と言っても、僅かなものだが――は、管理区画での作業だけ。
だが、その小さな小さな可能性も、人払いによって、摘み取られている。
――これじゃあ、本当にこの島は……、
「諦めんじゃねえよ、政!!」
思っていると、傍らから檄が飛んだ。
「まだ、終わってねえぞ! 要するに、あの隊長さんをぶちのめしゃあ良い、ってだけだろう!!」
そうだ。まだ終わってなどいない。
結局の所、ドグマの意識を支配しているのは、黒衣崎魔美だ。ならば、彼女の意志をへし折ることができれば……、
「……ああ!」
政は応え、哲也とともに駆け出した。フィロも後ろからついてくる。
魔美が言った。
「飽くまでも歯向かうか。良いだろう。最後のセレモニーだ」