第一章:追われる少女――7
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生活区画三番地に〝黎明堂書店〟はあった。
円柱状の三階建てでは、一階が文学・マンガ。二階が専門書。三階が魔術関連書物を取り扱う。
特に、魔術関連書物は島外ではレアものであり、一介の書店のワンフロアを占めるのは大変珍しい。そのためか、黎明堂書店は観光ガイドブックにも掲載されている、法陣都市らしい施設だ。
書店にて、二冊の教本を買い終えて、政は帰路へ着こうとしていた。
バッグの中には、〝図解:自然魔術と精霊魔術〟という雑学書と〝魔術プログラミング応用編〟との名を持つ参考書が入っている。
日も傾いてきて、影が長い。蒸し蒸しとした熱気は相変わらずだが。
――さて、帰ったらお勉強の時間ですよ、と……。
思いながら、自転車のかごにバッグを押し込んだときだった。背中に衝撃を感じたのは。
衝撃は重いものではなく、しかし、決して小さなものではなかった。
感覚としては、小学生にいきなり抱きつかれたくらいのものだ。そんな経験は滅多にないが。
だが、衝撃には、
「わぷっ!?」
との透き通った、高めの驚きがともにあって、間違いなく人間。それも、少女が関連していると告げている。
振り返ると、こちらの予想を裏切ることなく少女の姿があった。
……外人さん、か……?
天使のような金色の長髪を、ポニーテールとした少女だ。その双眸は、ルビーに親しい深紅で、思わず見入ってしまいそうなくらいの輝きを宿している。
雰囲気は邦人離れしているが、その体躯は小さく華奢で、顔つきも童顔。多く見積もっても、中学生にしか見えない。
フード付きの黒いローブと言う、みすぼらしい格好なのだが、
――可愛い、子だな……。
思わず見取れてしまいそうな美貌が、薄幸の美女を連想させる。
言うなれば、それはおとぎ話のお姫様のようで、彼女ほどの美少女ならば、王子様が見捨てることはないだろう。
恐らくは、道を急いでいた少女は、前方不注意でこちらの背中にぶつかった。彼女が尻餅をついている状況から、そう推測できる。
ローブから覗く、新雪よりも白く、フラミンゴほどにしなやかな生足。上気した頬と荒い息遣い。そして、助けを求めるような上目遣いが、どうにも蠱惑的で、非難を恐れずぶっちゃけるとエロい。
不本意ながら、胸の鼓動が高まり、こちらの頬まで熱を帯びてくる。そんな中、男子として適切な行動は、手を差し伸べるに尽きるだろう。
「だ、大丈……」
「助けてください!!」
――はいぃ――っ!?
差し伸べた右手を、両手で握り替えされて、心臓が飛び出るかと思った。
二つの意味で、想像とは異なっている。
まさか、街でたまたま出会った超弩級の美少女から、こんな潤んだ瞳で懇願されるなどと言う、ライトノベルな展開がやって来るなんて。
まさか、少女の掌と言うのは、こんなにもスベスベで、フカフカと柔らかく、総合的に肌心地がヤバいなんて。
頭の中は、とっくに真っ白で、情報処理が追い着かずに完全フリーズだ。
「ワタシ……、追われているんです。真っ赤な服装の人たちに!」
「追、われて……?」
彼女のフレーズが、停止した脳に覚醒をもたらす。
未だに心臓がバクバク五月蠅いが、歯車回して無理矢理考える。もしや、彼女が先ほどの噂と関与しているのではないか? と。
彼女は、テロリストではないか? と。
真っ赤な服装とは、ファレグ隊のサバイバルウェアのことだろう。ファレグ隊のシンボルカラーは赤で、服装も統一されているのだから。
だが、それにしては彼女は軽装だ。見たところ、武装らしい武装は見当たらない。
それに、彼女の様子は無防備にも程がある。夜の街を歩かなくても、普通にナンパされるほどに危なっかしい。
「ワタシは何もしてないんです! お願いです……信じてください!」
さらに、この台詞と表情だ。先におとぎ話のお姫様と例えたが、心底似合う比喩だった。少なくとも、悪役の魔女としては役不足だ。
「分かった。後ろに乗ってくれ。ここを離れよう」
応えると、しかし、少女は不思議そうな顔をする。そんな反応は思っても見ませんでした、と語るような。
「あの……信じてくれるんですか?」
自分自身、無理があるお願いだと感じていたのだろう。
確かに、初対面で正体不明な外人さんからいきなり助けを求められたら、求められた側からしてみては、不審者だとしか映らない。
もちろん、政には彼女の正体なんて分からないが、理由なら一応ある。
「信じる信じないはともかく、困っている女の子を放っておけるほど、悪人でもなくてね」
ポカン。擬音はそれでバッチリだ。口元をだらしなく開けて、良く分からないが頬を朱色にした少女に、
「早く乗って!」
再び声を掛けた。
「あ、は、はい!」
自転車の後部に少女が乗ったのを確認して、政はペダルを踏んだ。
何時もの八割増し程度の力で。