Grim Reaper Ⅳ-Ⅱ
立体感のない世界の中、バグとの距離を慎重に探りつつ、機会をじっとうかがう。
ここのバグは一体どういうことか、人の形をしていた。
加えて、なんの嫌がらせか知らないが、相手は少女のような容姿をしている。
どんな厄日だ、と心の中で苛立ちを吐き出し、リーズから借りたナイフで牽制する。
「くす、くす……」
しかし、どんな手品か原理か、当たる!という斬撃はすべて空振りに終わる。
苛立ちを紛らわすように舌を打つが、状況は変わらない。
何よりも厄介なのは距離の優位を打ち壊すこの慣性さえ感じさせない移動だ。
いや、もはや移動というよりは転移という概念に近い。
周囲がやけに平面的なせいで距離感をつかめていないというのもあるがろうが、攻略の糸口が見いだせずにいた。
「逃げることだけが得意なのかよ……!」
ナイフを振るい、そこに蹴り技や縮地を織り交ぜ、技巧を連接させていく。
「遅い遅い。そんな攻撃、いくらやっても当たらないよ」
そう楽しそうに、そいつは言葉を話した。
ただでさえ人生で一番に驚いているというのに、今日は随分と常識が覆される一日だ。
こうも最低で最高な一日というのは口数が多くなっていけない。
「はっ。当たるか当たらないかで、いちいち考えなんてねえよ!」
「へえ、やるじゃん?」
良し、端まで追い込んだ!と意気込むのもつかの間、もてあそぶように真後ろに転移される。
それに加え、バグが作り出しているこの世界の端もまた、触れると麻痺のような痛みが走った。
「ちっ……その狡い能力さえなければ、こっちも楽なんだがな!」
「あはは、無理無理。能力だって実力だよ?才能がある相手に負けて、努力が足りなかったなんて言い訳、通用すると思う?」
「思わないが、嘆く暇があるんなら、オレは動けなくなるまで足掻くだけだ!」
利き手に痺れが蓄積しているせいか、ジワジワと動きが鈍っているのが体感で分かる。
それを知ってか知らずか、防戦一方だったコイツは、明らかに攻める意思を持って攻撃を交えてきた。
「くっ!」
無理に身体を捩じって避けるも、無理な体勢のせいで身体を傷める。
苦し紛れに蹴りを入れたが、やはり手応えはまったくない。
「あら?苦しそうだね?大人しくしてれば、すぐに楽になるのに、まだ抵抗するの?」
「分かってて言ってるんなら、ずいぶんとオレのことを知っているような口ぶりだな……オレに恨みでもあるのか」
「恨み?そうだね、あるにはあるけど、どちらかと言えば感謝している方だよ?」
感謝?オレに?
思いがけない言葉に警戒するが、そこに悪意は感じられない。
少なくとも、面識がないのは確かなはずだ。
「感謝されるような覚えは、ないんだがな」
しかし、状況は最悪だと言うしかない。
蓄積されているダメージに加えて、さっきの攻防で体力も削り取られている。
それに反比例するように、オレの意識はさらに鋭く、そして繊細に研ぎ澄まされていく。
「どんな狡い手でも、弱点はある……!」
こうも攪乱されてしまうと自分の感覚さえ疑いたくなってくる。
霧をつかむかのような距離感に、この平面的な世界、これだけでも頭がおかしくなりそうだ。
だが。
そもそも五感にばかり頼ることが正攻法にはならない。
「……いや、違う」
逆だ。
ここは言わば影の世界と言って良い。それを照らす光があれば、必然、影は消える。
しかし、強い光が強い影を生むように、それでは根本的な解決にはならないが。
「影、影か」
あまり気にしてはいなかったが、この世界に光はない。
ではどうして、こうした景色を見ることが出来る?
オレは気を失う直前、バグの残骸を握りしめていたはずだ。
リーズの姿が変化していたこと……そしてこの世界にオレがいるということから考えられうる可能性。
「…………活路は、ここにある」
ナイフを強く、握りしめる。
一度拳を交えたような相手を心配するのは、それこそ相手を信用していない証拠だ。
「あれ?さっきから攻撃しないでボーっとしてさ?ひょっとして、本当に諦めた?」
「あ?んなワケねえだろ。少し、面白いことを考えてただけだ」
「面白いこと!?なになに、それ?これから書く遺書とか?」
「いや……テメェが地獄に落ちるっていう、最高のシナリオさ」
犬歯をむき出しにして、オレは笑う。
こんな子供じみた意志でさえ捨て去ってしまえば、もはやオレはオレではなくなる。
オレがオレとして立ち続けること。オレとしてあり続けること。それを頑固というのなら、そう言って思考を閉じろ。
「目と耳を塞いで、口さえも閉ざした人間に、オレという人間を批判する価値はない」
針と糸とを、手繰り寄せる。
それは途方もなくか細い可能性だ。極めて微小な穴と、それに糸を差し込むということ。
ただでさえ人間の手では難しいというのに、それを目をつむってやるのだとすれば、どれだけ難しいだろう?
「お前はな、恥さえ忘れた弱者なんだよ」
そうしてオレは、どこに飛ぶとも知れぬ、白銀の弾丸を撃ちだす。
どんな化け物さえも倒すことの出来る弾丸は、果たしてどこへ飛んだのか。