Liz Ⅴ
――ねえ、機械とヒトの違いってさ、なんだと思う?
ある時の問いが、いつまでも電子回路を迷路のように彷徨っている。
それはスリープ状態でも同じことで、いつの間にやら、光崎世界という少女に、私は惹かれていた。
――突き詰めてしまえばさ、ヒトってのも電子回路で動いている、としか言いようがなくて、それをニューロンだとか魂だとかさ、崇高な名前こそ付けるけど、私たちも、そうした電気的な生産物という点では、機械と変わらないはずなんだよ。
そう、こともなげに言う少女は、いつも笑顔を崩さない。
私といるときだけではなく、それは教室であっても同じことだった。
それが行為や敵意であったとしても、彼女は何かに染まることはなく、ただ自分という存在を見せつけているようで。
「……なにを、考えてるんでしょうね」
いつの間にやら、そうして考え事をしていた。
あらかじめ決められたプロトコルに従って、プログラムを実行していく。
それが私に課せられた役目であり、機械として実行すべき最重要の仕事であるはずだ。
そして同時に、バグを生み出したエニグマの解析、そしてバグから析出される奇石の捜査が大まかな役目だった。
もっとも、水守宗司が奇石によってバグの世界に迷い込んでしまって、その反動で奇石は消えてしまったことになるのだが。
「マスターはミスは誰にでもあると言ってましたが、私は機械で」
――ねえ、アンタさ。機械だからって、わざと自分から目を逸らそうとしてない?
どうして、思い出しては胸のあたりが痛むのか。
そもそも痛みなんて分からないはずなのに、どうしてそれが痛みだと、理解できているのだろう。
分からないことばかり。世界も、宗司も、少なくともあの二人は、私が出会った中でも特に不明な点が多い。
自分勝手?確かに言動は横暴な二人であるのに、そんな言葉ほど当てはまらない。
――それこそ別に、答えなんてどこにもないんだけどさ。
世界の言葉が、響く。
色彩を添えてくれる瞳を閉じれば、そこにはあの独特な後ろ姿が思い浮かぶ。
――ココロってモノは、一体ヒトのどこにあるんだろうね?
それは頭?それとも心臓?
声に象られた色彩が、世界を染め上げていく。
――Man is not the creature of circumstances, circumstances are the creatures of men.
『境遇が人間を作るのではない。人間が境遇を作るのだ』
世界が語ろうとする言葉。伝えようとする世界。
彼女が使う言葉、そしてその意味の尊さ。
それは危うくもどこかに共感を持たざるを得ないような、そんな気分にさせられてしまう。
彼女はそれを平然と、私のワガママなんだけどね、と笑うのだろう。
それは子供のように嬉々とした表情で、とびっきりのいたずらを自慢するような快活さで、そう告げるのだ。
――身勝手に言わせてもらうと、ね。ヒトにココロやら魂なんてたいそうなもん、存在しないんだよ。
彼女は、何よりも孤独なヒトだった。
――誰もが認めたがらないけどさ、ヒトって好き勝手に物事を決めたがるじゃん?
歴史とか見てみなよ。国境もそうだし、民族だってその一部、ついでに言うなら領土だとか言語だとか、そういうもの。
そりゃさ、アタシだって立派な歴史の研究者じゃないんだから、大きな顔は出来ないけど、学校で習うくらいならわかってるつもり。
でもさ、全部が全部、なにかを撤回することと非難することの連続でしかない。
それは自由の排除に始まって、自由の獲得へと移っていく。そうして気づけば肌の色で区別を始めていく。
そこから更に枝が分かれていって、今度は犯罪者やら奴隷、外国人とくれば、もう止め処なんかない。
差別のどこに限界がある?そんなもんは存在しないよ。
いやね、そこに良心とか倫理だとかを主張する頭の固い連中こそいただろうけど、迫害っていうのは裏返せば自己の正当化なんだ。
ホラ、ヒトってアタシみたいに身勝手だからさー、何かを蔑んでないと自分の能力を信用しきれないんだよ。
自分だとか立場の弱い人間だとか、自分より優れている相手だってそう。とりあえず手当たり次第に八つ当たりする。
それで嫌われるってイヤじゃん?だからそういう人と一緒になって、同じ相手を蔑んでったら、最大多数は勝手に出来上がってしまう。
民主主義ってご都合主義の塊みたいなもんだよ。最大多数の最大幸福がファシストというなら、弱者を徹底的に処罰する大勢が出来上がる。
誰も気づきたくないんだよ。
弱っちいことがイヤでイヤで、駄々っ子みたいにいっぱいになって、ガキ大将にまとめられているんだ、っていう事実にね。
当然のように、彼女はそう語っていた。
そうと知っていてなお、彼女は笑っていると思うと、その孤独さが際立ったような気がする。
いや、彼女は知っているんだろう。
どこまでいっても、ヒトというものは孤独であって、寄り添うことでしか互いを感じ取ることが出来ないということを。
「……私は、どう思っているのでしょうか」
感情に沿った言葉は、いくらでも思い浮かぶというのに、答えは出せない。
投げ捨てたような状態から起き上がって、無味乾燥な暗い部屋を見渡す。
この部屋に埃はないのに、生活感はなかった。
そこにあるべきはずの体温がない。家具が引き起こす立体感がない。
「まるでこれこそが、私そのもののようですね」
何も、ない。
部屋を区切るだけの壁や窓、そしてカーテンだけがあって。
ここには、虚無ばかりが密集している。
「悩むなんて、それこそ機械らしくないのかも知れませんね」
思考の後に残された、ぼんやりとした熱のような感覚に目を閉じて浸る。
どうして本当の熱を知ることもないのに、そう判断したくなるのか。
マスターはそれに何かしらの疑問を持つどころか、いつも楽し気に成長しているんだ、とだけしか言わない。
まったく、分からないことばかりの生涯だ。
けれど、分らなくとも良い。分からなければ、思考して試行することが私に与えられた行動原則。
そうして今日もまた、バグを探すべくして学校に向かうのだった。