間に合わなかった
ヤバい。
電車に乗り込んで5分、俺の目的地まではこの電車にあと30分は乗らねばならない。
だがヤバい。
何がヤバいって、尿意がヤバい。
ついでにこの電車を逃すと就職の面接に間に合わなくなるヤバい。
どっちにしろ、ヤバい。
頭の中を尿意が支配し、そわそわと股間周りが落ち着かない。落ち着くわけなかろうが、今どういう状況だと思ってんだ。天下分け目の大決戦だぞ。俺の仕事を持った安定した未来を捨てるか、俺の人間としての尊厳を守った未来を捨てるかだ。
いや待てよ、ここで漏らしたら俺の就活もおじゃんなのでは…?
股間を小便でびしょびしょにした男を誰が雇うというのか。何を評価すれば良い、度胸か、その状態で外を歩き回ってあまつさえ面接を受けるという頭おかしいとしか思えない肝っ玉か。
「この度は通勤快速東京行きにお乗りいただき誠にありがとうございます。この電車は…」
車内アナウンスで気を紛らわす。紛らわ…す…?
ばっ!と顔をあげドアの上のバナーを見る。ゆっくりと流れる文字列の中に、通勤快速の文字が流れた。
……………。
やっちまったぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!
止まらない、どうしよう止まらない!
俺の降りたい駅は少なくとも快速に乗らなくてはならない。
だがこの通勤快速は止まらない。俺の降りたい駅の数駅先までいってやっと止まる。そこから折り返しても間に合わない。
終わった…、俺の安定した未来…。そしてもう一つの未来も…。
もう面接に間に合わないのは良いとして、俺がトイレに行けるのはいつになるというのだろう…。そしてその時に俺の膀胱は決壊せずにいられるのか…。
バナーの下の停車駅一覧を目で追う。
そうしている間にも俺の膀胱は悲鳴を上げている。
次の停車駅は…、二つ先!運が良いぞ!それなら10分程度で済む。
さっきよりも高速でモジモジしながら辺りをキョロキョロとする俺はどう見ても不審者だがそんな事もう気にしていられない。
あと10分、あと10分持ちこたえれば…!
「あれ、ケンジじゃん」
「んひぃ!」
俺の堤防に…!蟻の一穴が開いた!
「ど、どうした大丈夫か?」
「イマハナシカケルンジャナイ」
「顔色悪いぞ?」
友人を無視して目の前で開いたドアから駆けおりる。見覚えのない駅が余りにも広大に見えた。
まだ、まだ希望はある!
改札口へ駆け上り視線を巡らせる。危険を感知した俺の視野は爆発的に広くなっており、トイレを一瞬で見つけ出す。
走れ、走れケンジ!お前の希望はすぐそこだ!
トイレに駆け込み空いていた一つに辿り着く!
『故障中」
「あへぇ」
【蟻の一穴(アリノイッケツ)】
どんなに堅固に築いた堤でも、蟻が掘って開けた小さな穴が原因となって崩落することがある、ということを表す語。一般的に、どんなに巨大な組織でも、些細な不祥事が原因となって、組織全体を揺るがすような深刻・致命的な事態に至る場合がある、といった意味の格言として用いられる。