若狭の海
冬の日本海は荒れる。
激しい風に煽られた波が高く熱り、近く物を全て拐おうとさえする。加えてどす黒く重々しい雲が遥か彼方に見える大陸の上にまで届いている。
それが当たり前の日々に時折目が醒めるような明るい日もある。
若狭国曹洞宗龍潭寺に年老いた尼僧が住む。
今朝は、波の音も穏やかで優しい陽射しが尼僧の顔を照らした。
尼僧は部屋の窓を開けて風を入れる。
もう若くはない、むしろいつ現世に別れを告げてもよいくらいであった。三人の妹はすでに浄土へ旅立っている。
三姉妹より先に御仏との縁を結んだはずの自身がまだ現世に残っていることに不満を漏らした時期もあったが今はただ待つしかないのだ。
自らの年齢を数えるのも辞めてしまった。
思い得る限りの全ての身内より長寿であった。
海は静かで、陽の光が鏡のように反射し靄を作っている。白い自然の幕の中に御仏が降臨されておられるのではないかと観念し手を合わせた。
窓は毎日開ける。身を刺す寒風も通し、ほぼ一日をこの部屋で過ごしていた。
「宝光院様」
庭から子どもたちの声がする。
晴れ間を活かすため大人が働き始めると子どもたちは寺に集まる。ここで読み書きを教えてたり、昔語りをする時もある。
「さて、今日は…」
本堂に子どもたちが集まったと小坊主が告げにきた。
「我の昔語りでもしてみましょうかの」
宝光院はゆっくり立ち上がって、本堂に向かった。