飯時の話
長浜港を出てしばらくあてもなく歩いていると、烏賊の腹がぐうと鳴った。いつの間にか太陽が真上に昇っていた。
「おや」烏賊がにやりと笑って琴美を指差す。「今、腹の虫が鳴いたろう」
「烏賊さんのが鳴いたんですよ」慌てて反論すると、タイミングを合わせたように琴美の腹もぐうと鳴った。
烏賊はいつもの調子で声をあげて笑い、「ここらにいい飯どころがあるんだ。腹も空いたことだし寄っていかないか」と言った。実際琴美も腹が空いてきたと思っていた矢先の出来事だったので、もしや烏賊は人の心を読むことができるのではないかと疑うほどだった。
烏賊に連れられて到着したのは、なんとも風情のある店構えをしていた。お昼時とあって混雑していたが、ちょうど波間だったのかそれほど待たずに済みそうだった。
「鯖そうめんって知ってるか?」席につくなり烏賊はそう尋ねてきた。
「店の入り口に書いてあったやつですよね。聞き慣れない組み合わせだなあと思ってはいたんですが」
琴美はストールを外し、椅子の背もたれに掛けながら答えた。
「知らないのか。長浜に来たからには鯖そうめんは食べておかなくちゃならない」
「おいしいんですか」琴美が聞くと、烏賊は何を言っているんだという調子で「不味くて有名になるなんて自慢にならん」と胸を張った。
運ばれてきた鯖そうめんは、たしかに鯖そうめん以外のネーミングは思いつかない姿をしていた。そうめんの上に乗った焼き鯖はほどよい焼き色がつき、食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐる。ぐう、と二人の腹がまた鳴った。
「いただきます」
割り箸をパキンと割って、焼き鯖にのばす。柔らかい鯖の身を口に入れると、なんとも甘辛い濃い味が口いっぱいに広がった。
「旨いだろ」正面に座った烏賊が、そうめんを頬張ったまま得意気に笑った。琴美は、自分の顔が緩んでいることを感じながら、黙って親指を立てた。それほどに旨い。醤油のきいた味が懐かしいような気がした。
「じゃあなんだ、琴美ちゃん仕事さぼっちゃったのか」爪楊枝を咥えながら烏賊はガハハと笑った。
「いけない子だなあ。俺は毎日仕事を一生懸命やっているのに」
「なんなら今も仕事中ですもんね」お茶をすすりながら琴美は言った。食事の場で、最後の砦のように張っていた緊張が解け、ここに来た経緯や仕事の悩み諸々を愚痴愚痴と喋ってしまったのだ。
「ま、たまにはリフレッシュも必要だよ。ちゃんと休暇をとってからっていうのが常識かもしれないけど、今日電車に乗り間違えたのは俺に会う運命がそうさせたのかもしれないからね」
「運命?」急にくさいことを言い出して、何のつもりだと身構える。
「俺はいつも豊公園にいるわけじゃない。人の多い、それこそ竹生島みたいなところで観光客を見ていることもあるし、住宅街で犬の散歩の仕事をしていることもある。こうやって飯屋で相談を受けていることもある。そんな俺と、大阪に行くはずだった琴美ちゃんがこうやって顔つき合わせて飯食ってるって、普通に暮らしてちゃありえなかったことだろう」
「まあ、それはそうですけど」琴美がそう言って空になった湯飲みをテーブルに置くと、それを合図にしたかのように烏賊が立ち上がった。さあ行くか、と言いながら伸びをする。
「行くってどこへ」慌てて琴美も席を立つ。
「ちょっと連れていかなくちゃならない場所を思い出したんだよね」
「天女探しの続きですか。私の依頼についてのことですか」
「それはそうと」烏賊は質問には答えないつもりのようだった。「琴美ちゃん。その細長い布きれ、忘れないようにしなよ」
ストールのことだ。