私たち三人の女性は、街角の喫茶店で話し合っていた。
「今度の日曜日。ドラゴンと会うのが二回目なのだけれど、何となく気恥ずかしい。ドラゴンって、どんな人なのか興味津々」
「そうだよね。採用面接試験の時、代表のドラゴン、総務部長の梅本さん、事務局長の杉田さんと接して、この事業所はホンマモンだと思ったもの」
彩香は、眸に言葉を返した。
「彩香は、そう言うけどね」
「どうしたの?」
私は不安だった。
横田龍一。65歳と言えばハッキリ言って年金受給開始の年。60歳まで民間会社で仕事をやって定年退職し、5年間の再雇用もこなし、そんなキャリアの人物が代表だなんて、訳が分からない。庭の盆栽いじりや敬老会の一員として、世間並みに悠々自適の生活をしていれば良いのに。

4月2日。月曜日。晴れ。
朝晩は寒いけれど、この頃の昼間はけっこう暖かい。
虎御前山の集会場へと、私は午前九時半過ぎに家を出た。私の家は浅井町だから、すぐそこだ。
集会場って、確か、県営虎御前山キャンプ場は取り壊されていて、跡形も無いところ、平成三十年の今現在は何も無いところじゃなかったっけ。
思わずスマホで調べる。
やはりそうだ。それじゃ、何処で話し合うのよ。えっ? 青空教室?
イヤだ。トイレは無いでしょ。天気は良いとはいうものの。
麓から愛車のタントで虎御前山への高度を上げる。わりとすぐに小さい広場があった。標高二三○メートルの高台だ。私には、昔、織田信長が小谷城に立て籠もる浅井長政を攻めた際に、攻撃の最前線として、この虎御前山に居たということで認識している所である。
「遙。お先」
「今来たばかりよ」
眸と彩香が、次々に手を振って迎えてくれた。スマホを見ると、九時五十五分だ。
「ねえ、あそこ」
「ドラゴンは、あの男よ」
私は、眸と彩香に相次いで指呼された。
「やっぱり若いやん。入社試験の時と一緒。私のお父ちゃんと変わらへん。その隣に二人の男」
眸の言葉に誘われるように、私たち三人が三人の男に近づくと、男たちは、「こんにちは。此処へどうぞ」という挨拶を重ねた。
「ようこそ。私は横田龍一です。この度は、我が事業所に入社してくれてありがとう。入社式の今日は、あえて、この場所を選びました。事業所の趣旨を説明して、昼食は簡単なバーベキューです。その後、場所を長浜の豊公園に移して、事務手続きをします。その後、閉会です」
互いの自己紹介の中で、同時並行で梅本直弥総務部長が、軽トラに食材とコンロ、バーベキューセットをいっぱい積んで運び出していた。濱梅製菓株式会社の専務でもある。
私たちは、この会社の社員として健康保険証等が得られるのである。
「手洗いのポリタンクは二タンク持って来たけれど、トイレは無いので、各自で物影に隠れてね」
総務部長の言葉に、私は勘が当たった。
何これ? ちゃんとしたホテルを借りるとかすれば良いのに。私たち女子三人組は不満そうな気分だった。
それもそのはず。大手地方銀行なら、しかるべき場所で大勢の行員や新入社員を集めて、来賓挨拶、祝辞、新入社員代表挨拶、記念式典などがあるのに、何これ? トイレや洗面台も無いところで。
たった六人だけの入社式。来賓無し。祝辞無し。記念式典無し。あるのは、空漠たる広場。不規則に並ぶ樹木。
私、入社すべきところを間違ったのかも。
「まあまあ」
私の気持ちが通じたのか、杉田圭事務局長が、両手で抑えるような仕草をした。
穏やかな笑顔の若者である。
まだ二十代か、それとも三十代前半というところかな。
それに比べて、梅本直弥総務部長は三十代後半から四十代というところかなあ。でも、これらは、いずれ社内報で明らかになることだ。
それにしても、ドラゴンは若い。とても65歳には見えない。愛想が良くて若々しい。五十代と言っても不思議ではない。

ドラゴンは、最初に伝説を話した。

昔、井筒という泉のほとりに住んでいた娘が、旅の途中に知り合った世々(せせ)聞(らぎ)という若者と愛し合い結婚した。しかし、15人の子どもを一度に産んだものも、すべて顔は人間だが体は蛇だった。娘は嘆き悲しみ続け、淵に身を投げて死んだ。娘の名を「虎姫」と言う。

何のために、伝説から始めるのだろう。普通なら、会社設立の趣旨や意義、方針や運営について話すのが筋ではないのか。ドラゴンは頭がいかれている!
私は気になる。この会社を選んで間違いだったのかと。
ドラゴンは立ち上がって、ゆっくりと四周を指呼し始めた。
ドラゴンは一通りの観光地や史跡を指呼しながら説明を加えた後、「これから拠点となるポイントを伝えます」と言って、皆に集中するように求めた。
「小谷城、奥琵琶湖パークウェイ、そして賤ヶ岳。長浜城も見える。これらを空中で結ぶ。まるで伝説のようにイメージしよう。何かが見えますか?」
「うふふっ」
思わず彩香が吹きだした。
「ははっはっ」
つられて眸も笑った。
でも、私は笑えない。不安の方が勝る。
こんなくだけた展開についていけない。何が見えるかって、ありのままの景色じゃない。ドラゴンって龍だけれど、この人、名前負けしている。こんな人が代表の組織についていけるのか、はなはだ不安だ。
こんなけったいな所へ入社するのではなかったかも。
「遙は気にするね。ドラゴンは何かを言いたがっているのよ。分かる?」
そう言う彩香も多分、分かっていないはず。
私には、彩香の指摘の意味そのものも、分からないままだった。
「高台から見ると、平地から見た場合と違って、立体的に見える。これが当事業所の大きなポイントです」
「梅本君。さすがだ。我等は平面で見ない。立体的にものを考える。これがこれからの長浜の発展になる」
ドラゴンは自信満々の様子だった。
「新入社員代表挨拶をしていただきます」
事務局長のご指名は、幸いにも眸だった。
「訳が分からないですけれど、頑張りますのでよろしくお願いします」
眸は、はにかんでいた。
訳が分からない。一応、事業所は濱梅製菓株式会社の一角にあるとのことだけれど、明日から、毎日午前八時四十分から午後五時十分までの間、出社なのだけれど、方向性が見えてこない。何をやろうとしているのか?

あっという間の午前中だった。
「これからバーベキューを行います。手伝ってください」
総務部長の声だった。
大きいポリタンク二つは、軽トラの荷台に載せたままだった。二つのガスボンベの上に、総務部長は特大のタコ焼き器のようなものをそれぞれ乗せた。
「バーベキューは、たこ焼きなの!」
眸が思わず叫んだが、すぐに訂正した。
私は、眸の言葉に導かれて、タコ焼き器のようなものを見たが、タコ焼き器とは明らかに違う。タコ焼き器は、一つひとつの穴が丸いけれど、四角いのだ。
なぜだろう? 
総務部長が軽トラから次々と取り出す食材は、小麦粉を水に溶かせたもの、長芋短冊、もやし、焼きそば、キャベツ、豚肉の微塵切りである。
「お好み焼きなのに、なぜ区切りがあるのだろう?」
彩香は、つぶやきながら、じっとお好み焼き器を見つめていた。
「お好み焼きをタコ焼き風にすると、食べやすくなる」
事務局長の言葉に、みんなは釘付けになった。

*

しばらくすると、四角い立方体のようなお好み焼きが、次々と出来上がってきた。
「小さなサイコロステーキみたいや。ワッハッハ」
ドラゴンが満足げだ。この男、一体何を考えているのだろう。65歳になって、引退した男の姿か? まったく訳が分からん。どうみても、小麦粉をサイコロのように焼いただけじゃないの。これが入社パーティーの姿か!
ひどい。あまりにもひど過ぎ。一応、私も、眸や彩香と同じように、リクルートスーツを着ているのよ。それに引き替え、ドラゴンの身なりはジーンズにトレーナー、ウィンドパーカー。総務部長も事務局長も同じような出で立ち。
「遙。何をボーッとしているのよ。食べよう」
彩香の声で、私は我に返った。彩香って、動じない子ね。
「遠慮しないで。今日はめでたい入社の日。がんがんいこう」
総務部長の声で昼食が始まった。
私は、一口食べた。
えっ。何でこんなに美味しいの? ウソや。こんな味、初めて!
皆、満足そうだ。取り皿に四角く区切られたお好み焼きを入れ、その上にソース風のタレを付け、花かつおをパラパラッと振りかけて、マヨネーズを付けて食べる。
「いけるっ。最高!」
眸の声が場を支配するかのようだった。
「彩香ったら、食べ過ぎはいけないわよ」
「ううん? 遙こそ食べ過ぎないで、どんどんいこう」
総務部長は、造りながら同時に食べている。
私は、総務部長の手さばきに注目した。
四角くて少し深い器の中に刻みキャベツ、刻みもやし、刻み豚肉をしっかりと入れて焼く。胡椒をパラパラ。そこに刻み長芋短冊を入れてすぐに水に溶かした小麦粉を入れる。しばらくして、ひっくり返す。タレと刻みネギ、紅ショウガ、花カツオを付ける。
出来上がり!
「美味しいです!」
私の声に呼応するかのように、ドラゴンは「これだ!」と言った。
「これが、【ながはま焼】だ。商品化する。1パック9つ入りで税込み500円。どうや?」
ドラゴンは皆に問題提起した。
「ワンコインで買いやすい」
「杉ちゃんに同感。でも9つとは何かこだわりがあるのですか?」
梅本総務部長がドラゴンに尋ねた。
「9よりも7の方が、ラッキーセブンで良いかも」
「末広がりで八つ。つまり8もあり得るわ」
「ダメダメ。9しかない」
ドラゴンは、彩香と眸の意見を一蹴した。
でも、私は、9が良いと直感的に思った。
えっ、ウソ。このドラゴンと私の意見が同じなんて! でも、やっぱり9。これしかない。言おうか、どうしよう。
「久保さんなら、どうかな?」
さすがドラゴン。ドラゴンは自分と同じ答えを求めている。もう、この動物的勘の65男! でも、正直に言うしかないと思った。
「やっぱり9しかないと思います」
私は言葉を発した途端、一斉に皆の視線を受けた。
反応が強い。怖いくらい。
でも、こうなったら主張するしかない。ドラゴンおやじの満足そうな顔。キモイ! でも、仕方が無いもの。言ったら、そうする。私は体があんまり丈夫じゃない。すぐに疲れてしまう。一人っ子の私は、両親を交通事故で高校二年生の十二月に亡くした。幸いにして、両親が貯金していてくれた大金で、地元の経済学部の国立大学に入学した。大学時代は、バイトバイトで生活費を稼いだ。今でも、両親の声が聞こえてくる。
「遙。ふるさとを決して離れないでくれ」
私は、両親のことを思うと、涙が出てしまう。いまでも、なぜ多くの友達に両親が居て私には居ないのかと思うといたたまれなくなる。でも、これが私の運命。どうすることもできないのだ。だから、就職も他所に行かずに地元で探した。公務員という道もあったけれど、両親が会社員だったので、公務員にはあまり食指を動かされなかった。
そんな時、ドラゴンの事業案内を見て、興味を抱いた。地元で何かが出来る。これなら地元で暮らせる。亡き両親の心一緒に生きていける。

「どうしたの? 物思いしたりして」
「ううん。何でもないの」
眸に答える私の声は、ひょっとして元気無く皆に映ったのかも知れない。気分をチェンジしなければ!
「あのね。9つは長浜のすべてよ」
「なるほど!」
ドラゴンの間髪入れぬ声が皆を支配した。
私は言わざるを得なくなった。
「長浜はね。長浜市、びわ町、虎姫町、湖北町、浅井町、高月町、木ノ本町、余呉町、西浅井町が合併して出来た。だから9つよ」
言い切った時、私は、他の誰よりもドラゴンの視線を強く感じた。
ふとドラゴンを見ると、ドラゴンはニンマリとして、言い放った。
「久保さんの指摘どおり、9つで決まりだ! 味に圧倒的に重要な役割を果たす長芋は地元産。あと、ネギ、紅ショウガ、ソースも地元産、あとは他府県から仕入れる」
ながはま焼の9つ入り税込み500円案が決定した瞬間だった。

*

午後からは、話し合い会場を豊公園に移動した。
「平面以上に立体にこだわる食品グッズを考えよう」
ドラゴンの提案のもと、ながはま焼の発泡スチロール製パッケージの上に、印刷して、ながはまの9つの謂われを印字することになった。

長浜市 曳き山と長浜城
びわ町 竹生島の宝厳寺本堂と都久夫須麻神社本殿
虎姫町 虎御前山
浅井町 須賀谷温泉と小谷城
湖北町 小谷城
高月町 観音の里
木ノ本町 賤ヶ岳
余呉町 赤子山リゾート
西浅井町 奥琵琶湖ドライブウェー 山門水源の森

代表的な9つの立体物を印字することになった。

「ながはま焼以外にも、長浜を立体で示すお菓子があるはず。それを僕の工場で造らせて欲しい」
総務部長の提案は、皆を前向きにさせた。
「良い案だ。具体的には、曳き山のように、立体を感じさせるものだなあ。チョコレートなど、どう?」
さすが、ドラゴン。
私は、思わず、微笑んだ。
「全部チョコレートというよりも、たとえば、ウェハースをくるんだようなヘルシーチョコレートが良いのでは? 値段もワンコインでいけるかも」
「杉田さんの意見に賛成。9コ入り、箱入り500円。ただし、こちらは完全包装」
眸の意見でまとまった。
「今は、すぐには出来ないけれど、9つのチョコレートの表面には、9つのデザインを、ゆくゆく考えるつもりだ」
総務部長は同意を求めた。
「賛成。するわ。でも、秋から春までは良いけれど、夏はダメ」
「プラケースに入った、スプーン付きの寒天スウィーツ」
「パッケージの上に9つのデザインのうち一つを印字する。カギは立体」
彩香、眸、私の順に同意の意をあらわした。
私は、ドラゴンが次第に気になる存在になった。

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