結婚生活その後
私は中村君と結婚して、藤嶋宏美から中村宏美になった。
元々、地味でなんの取り柄もなかったが、これで名前まで地味になった。
中村宏美って、どこにでもありそうな名前だ。
彼は友人とやっている不動産事業がバブルの影響で相変わらず好調だったが、私は不安だった。土地っていつまでも値上がりを続けるものなんだろうか?
そしたら最後は誰も買えなくなってしまう。
こんな単純なことが分からなからず、世間はバブル景気に酔いしれていたが、1980年代の終り頃にはバブル崩壊の足音が聞こえてきた。
私は彼と話しあってみた。
「ねえ、中村君。これからも不動産屋さんを続けていくつもり」
私は結婚してからも彼のことを中村君と呼んでいた。
彼は私のことをいつも宏美さんと呼んでくれた。
「実は僕も不安なんや」
彼は彼なりに危機感を持っていた。
友人の不動産屋を手伝うようになったのも、彼の実家が京都の老舗 呉服屋だったからだ。
「こちら、呉服の中村屋さんの跡取り中村和男さん」
これだけで相手は信用してくれて、後の交渉はスムーズに進んだ。
名前で商売するって、あんたは京極高次か!
呉服屋を手伝っている時は、帯留をひとつ買ってもらっても「ありがとうございました」と、頭を下げていたし、またそれが当たり前だった。
今は数千万円の土地が右から左だ。
こんなこと長く続かない、そう思いながらもずるずる止められないでいる。
その後も何度も話し合い、私はお初様ならどうするか考えてみた。
『自分の信じるままに進みなさい』
声はきこえなかったが、お初様ならきっとそう言ってくれる。
「こんなこと異常だよ、絶対にいつまでも続かないって」
「僕もそう思う」
彼には不動産業から手をひいてもらった。
彼の友人は「お前、アホやな。なんぼでも儲けられるのに」
こう言っていたが、バブル崩壊後、その友人が多額の負債を抱えたことはいうまでもない。
彼は呉服屋時代の知識とコネを活かし、壁紙やカーテンを扱う会社に就職した。
壁紙はビニールが中心だが高級なものは織物で織物メーカーもその分野に進出していたので、なんらかのコネがあったんだろう。
「給料安なってしもて、かんにんやで。そやけど僕これからもっと、がんばるさかい」
私も引き続き製薬会社で働いていたので、生活に困ることはなかった。
それより、私たちに子どもができる気配がまったくないことの方が問題だ。
その頃の姉妹はというと、妹に2人目の男の子ができ、東京での生活は順調にみえたが、金、地位、名誉。いずれも兼ね備えている医者はよくモテる。
病院で若い看護師(この当時は看護婦)といい仲になってないか、飲みに行ってホステスに言い寄られてないか、妹は毎日が不安なようだ。
姉は大阪で社長秘書を続けていたが、姉の妊娠には驚いた。
会社にいられなくなったのか、自分でやめたのかは分からないが退職し実家に帰ってきた。
姉は真面目な人だったが、すっかりイメージが変わり、お腹の子が誰の子かは両親にも言わず「私が育てます」の一点張りだ。
姉もバブルに飲み込まれた犠牲者のひとりだったのかもしれない。
世は1991年ついにバブルが崩壊。
一方、お初様 高次夫婦はというと1590年、高次は近江八幡山城2万8千石の城主となり、1595年には近江大津城6万石の城主となって、順調に出世している。
この当時の大津といえば、国内貿易の重要な港で町も非常に活気があった。
そこを任されるとは高次もたいしたものであるが、世間はそうみず、妹のおかげで大名になり次は妻と妻の姉の力で出世、いわば女の尻で光るホタル大名だとささやいた。
お初様も姉の茶々に「主人のことをよろしく」ぐらいのことは言ったかもしれないが、ここは夫婦二人三脚で今の地位を勝ち取ったと思いたい。
茶々は1593年、世継ぎの秀頼を生む。
多くの側室を持つ秀吉にはじめての子ども、今なら格好のワイドショーネタだ。
「秀頼は本当に秀吉の子どもなんでしょうか?」
「秀吉自身が高齢であるということと、これまで懐妊した側室が一人もいないことから考え、秀吉の子どもとは考えにくいですね」
「おっと、ここで滋賀県の長浜から中継が入っています」
「スクープです。秀吉は長浜城主の時、側室との間に子どもがいたという話です」
秀吉は初めての男子の誕生を喜び長浜城下の人々に金を振舞い、町民は振舞われた金で山車を作り八幡宮の祭礼で曳きまわした。これが有名な長浜曳山まつり始まりだといわれている。
秀吉に子種があったという意味で、長浜の人は秀頼誕生に安堵したのではないだろうか。
お江は1592年、秀吉の甥 羽柴秀勝と2回目の結婚をしているが、この結婚生活も長く続かず、秀勝は出陣した朝鮮で病死。お江バツ2。
1595年、お江は徳川家の跡取り徳川秀忠のもとに嫁入り、これで、三姉妹の落ち着き先が決まったわけだ。
1595年末、浅井三姉妹の現況をまとめるとこうなる。
茶々 豊臣秀吉の側室。今風に言えば愛人。すでに世継ぎ秀頼も誕生。
大阪城で悠々自適、豪華な生活を楽しむ。
お初様 京極高次の正室。今風に言えば奥さん。大津藩6万石を夫婦で切り盛り。
夫婦仲はいいが、子どもはいない。
お江 二代目の将軍になる徳川秀忠と結婚。
政略結婚のうえお江がバツ2で、しかも6歳も年上だったが仲はよさそう。