見送幕
長浜の町衆である魚屋町御山組の糸屋惣右衛門は、頭を悩ませていた。
惣右衛門は、曳山まつりの鳳凰山(ほうおうざん)の世話役として曳山管理の役回りを担っている者である。彼は、曳山を飾る見送幕が長年の使用により老朽化していて、見るからにみすぼらしい様相を呈していることに気を病んでいた。
見送幕は曳山の最後尾を飾る幕として最も目立つ存在であり、見送幕がみすぼらしいということは、曳山全体がくすんで見えるようなことになってしまう。
曳山は各町の繁栄のシンボルであり、どれだけ立派で豪華な曳山を所有しているかによって町の優劣が判断されていた。
したがって各町の世話役たちは、我が町の曳山をいかにして他の町よりも立派にするかに腐心をし、自分たちの曳山を少しでも豪華に飾り立てようとして、毎年多大な労力と財力とを費やしていた。
隣町の曳山が胴幕を新調するとの噂を聞けば、我が町の曳山にも新しい象嵌細工の柱飾りを国友の金工師に発注するなどして、相対的に自分たちの町の曳山の価値が下がることがないように対抗措置を取った。
せっかく新調するのであれば、他の町の曳山を断然凌駕するような飛びっきり美しい見送幕を調達したい。どこぞに皆の衆をあっと言わせるような見送幕はないものか?
早くしないと来年の曳山まつりの季節がまた到来してしまう。それまでに新しい見送幕を調達することができるかどうか。惣右衛門の頭の中は、そのことで一杯だった。