文化十四年、京都

 京都の室町通りや新町通り辺りには、不思議な活力があった。
 この辺りには、いわゆる巻物問屋と呼ばれる商人たちが寄り集まるようにして商いを行っていたからだ。
 巻物問屋とは、オランダとの貿易によって長崎に入ってくる絨毯などの輸入品を特権的に扱っていた商人たちのことである。
 オランダ船によって日本にもたらされるペルシャ絨毯などの渡来品は非常に大きなものなので、ぐるぐると巻物のように巻かれて船に積み込まれ、そのまま日本に運ばれて陸揚げされた。
 それを幕府から独占的に譲り受けて京都に運び、店舗に並べて販売するのが、彼らの商いのやり方だった。
 現在の三越を築いた三井家や、松坂屋を開業した伊藤家など、今でも屋号を存続させている著名な店の先祖にあたる商人たちが、京都の室町通りや新町通り辺りで活発な商いを展開させていた。
 彼らの主な顧客となったのは、以前は大名や公家などが中心であったけれど、彼らは時代の経過とともに次第に経済的に苦しさを増してきていて、不要不急の美術品である南蛮舶来の絨毯などを購入することには二の足を踏むようになっていた。
 大名や公家に代わって巻物問屋の顧客として台頭してきたのが、彼らと同じ商人階級に属する人たちであった。
 江戸時代も中期以降になってくると経済活動が活発になり、世の中の富は次第に商人たちに集まるようになってきていたのだ。
 士農工商という徳川幕府の政策により、身分制度上は最下層に置かれているけれど、実質的な経済の主導権は商人たちが握っていた。
 戦いのない平和な世の中が続いているために武士は活躍の場を無くし、収入は頭打ち状態になっている。むしろ出費はかさむばかりであり、大名たちは農民などから取り立てる年貢米を担保にして、商人から借金をして何とか生計を維持するようになってしまっていた。
 公家に至ってはもっと悲惨な状況で、とても高価な舶来ものの絨毯を買うような経済的余裕は持ち合わせていなかった。
 今でも、京都の鉾町界隈にある町家では、祇園祭の時期になると「屏風祭り」と呼ばれる風習が行われている。
 これは、先祖代々家に伝わってきた屏風や絵画などの家宝を、玄関に飾って街行く人たちに披露する風習である。
 これらの宝物類を見ていると、京都の町衆の富の蓄積ぶりを感じずにはいられない。
 彼らは、商いで得た富を美術品に換えて自家に蓄えるとともに、自分たちの町が所有する祇園祭の山鉾にもその富を注ぎ込んだ。
 山鉾は我が町繁栄のシンボルであり、立派な山鉾を持てばそれが町のステイタスとなり、ひいては町衆一人一人の誇りとなる。
 だから町衆は、競って我が町の山鉾を豪華な懸装品で飾り立てた。
 他の町の山鉾を圧倒するには、入手が困難な異国の絨毯が一番効果的だ。京都には西陣という絹織物の名産地があるにも拘らず、舶来ものが何よりも喜ばれた。
 唐物にしろ南蛮物にしろ、異国情緒漂う不思議な構図と美しい色合いを持った織物は、人々を魅了した。
 鉾町の町衆は、その豊富な財力を背景にして、競うように美しい異国の織物を求めた。

「この度、内々に幕府のお役人様からお達しがあり申した。なんでも、日頃の我らの徳川様に対する忠勤への特別の思し召しとして、将軍様が江戸城にて秘蔵されておす珍しい南蛮物の絨毯を御下賜くださるとのことにございますわ。」
 巻物問屋の寄り合いで、壺屋七郎兵衛がひそひそ話で語り始めた。
「我らが将軍様のために日頃からご用立てしている金子がかなりの額になります故、将軍様も何の代償もなしにお受けになられることに少し後ろめたさをお感じになられていはるのかもしれまへんなあ。」
 京都の巻物問屋の商人たちは、オランダとの貿易による輸入品を独占的に商いさせてもらうことの見返りとして、非公式にだが毎年莫大な金子を幕府に納めていた。そういう意味では、巻物問屋と徳川幕府との関係は、お互いに持ちつ持たれつの関係にあったのである。
 この度は幕府から、日頃の多大なる貢献に対する見返りとして、南蛮舶来の絨毯三巻が巻物問屋の寄り合いに対して贈られることになった。
 その絨毯こそが、約二百年前に仙台藩士支倉常長によってスペインから持ち帰られ、藩主伊達政宗を通じて二代将軍徳川秀忠に献上されたあの五枚のタペストリーのうちの三巻であったのだ。
 ちなみに、残りの二巻のうちの一巻は、秀忠の娘婿にあたる加賀藩前田家に渡り、加賀前田育徳会所蔵として現存している。
 もう一巻は、徳川家の菩提寺である芝の増上寺に伝わり寺の壁を飾っていたが、残念ながら火災により焼失してしまった。
 三巻ものタペストリーを幕府から下賜された巻物問屋の寄り合いでは、その活用方法について苦慮し、大いに議論がなされた。
「なんと綺麗な織物でっしゃろ。登場人物たちが生き生きと織り込まれていはって、まるで今にも動き出しそうな気配がしはりますのう。」
「ほんに美しおすなあ。この赤や青の色合いは、西陣の職人はんたちの技をもってしてもとても表せるものやあらしまへん。」
 普段から美しいものを専門的に扱い、目利きの力で商いをしている彼らのことであるから、美術品に対する目は肥えている。
「問題は、この絨毯をどないするかどすなあ。」
「このままわてらが持っていても一銭の儲けにもなりまへん。どこぞの旦那衆に売るのが一番よろしおすのどすがなあ…。」
「はてはて、こんな大きな絨毯を買うてくだはる旦那衆がいてはりますかいな?」
「なんぼのお大尽と言うても、個人の財力でそれだけの銭をポンと出してくれはるお方は、なかなかいらしまへんやろ。」
「それならいっそのこと、切り売りしてはいかがどすやろか?」
 壺屋七郎兵衛が突然、突拍子もないことを言い出した。
「一枚の絨毯だと家の壁に掛けるにしても、ちと大きすぎおす。半分に切ってしもうたら、ちょうどええ大きさになるんとちゃいますか?」
「たしかに、大きさとしてはそうでおますなあ。されど、絵の真ん中で切ってしもうたら、絵そのものが台無しになってしまわりまへんでしょか?」
「何の絵なのかはようわかりまへんが、一枚の絵で完結しているものを二つに分けるのは、ほんに難しおすえ。」
「そのことなら、わてに任せられい。うまく二枚の絵に分けてみせますわ。」
 七郎兵衛は胸を張った。
 七郎兵衛にはそれなりの才覚があった。絵をじっと凝視していると、どこで分割するのがいいかが見えてきた。
「この絵には主な登場人物が七人描かれておます。子供を含めた左側の三人と、右側の女子(おなご)四人とで分ければ、ええ塩梅に二枚の絵に分けることができまひょ。」
「なるほど、最初から一枚の絵だと思うてしまえば半分に分けることはでけまへんが、確かにここで二枚に分けてしまってそれぞれの絵を見れば、何の不思議もなく独立した絵に見えますなあ。」
「それではここで二枚に分けるとして、この絵をどこぞのどなた様にお売りすればよろしおすかな?」
「この大きさであれば、山鉾の見送幕がよろしおすなあ。」
「なるほど、これはちょうどええ塩梅の大きさになりますな。」
 個人に売るにはさすがに高価な代物のように思われた。しかし、祇園祭の山鉾を飾る見送幕として売るのであれば、豊富な財力をもつ山組は多数あるはずだし、これなら売れるかもしれない。
 それに、個人に売ってしまえばそれは家の宝としてその家の中に死蔵されることになる。山鉾を飾る見送幕として売れば、それは山鉾を保有する山組全体の宝となり、毎年祇園祭で皆の衆の鑑賞するところとなるだろう。
 世の中に対する貢献という意味でも、山鉾の見送幕とするのが最も望ましいとのことで衆議が一致した。
 販売先のターゲットとして、地元の祇園祭の山鉾はもちろんだが、近郷の大津祭や長浜の曳山まつりなどもその候補として挙げるべきだとの意見が出された。少なくとも一枚のタペストリーから切り取った見送幕が同じ祇園祭の別の山鉾に飾られるのはできれば避けた方がいい。
 一枚は祇園祭の山鉾に売るとして、もう一枚は祇園祭以外の祭りのヤマに売りたい。
 巻物問屋の世話役たちの面々は、手分けをして近郷の資金力のありそうなヤマに見送幕の購入を働き掛けることになった。

豊島 昭彦
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豊島 昭彦

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