不純

 翌日、チカは独りアートイン長浜に臨んだ。絢子は来なかった。売り上げは悪くなかったが、終始寂し気な、浮かない表情だった。
 イベントが終わり、仲間に誘われ飲みに行くチカ。賑やかしい中でも表情は虚ろだった。
 仲間と分かれ、寂しい夜の路地を独り歩く。浮かない顔でスマホを取り出す。メッセージアプリには絢子の名前が表示される。
「……」
 何もせず、スマホを再び仕舞う。

 翌月曜日、絢子の元にメールが届いた。求人応募した会社からの返信であった。絢子は手帳に面接日を書きこみ、スーツの入った荷を解いた。

 チカは工房で絢子宅の仏壇の仕上げにかかっていた。玄野が手がけた上塗りを、炭を使って薄く砥ぐ。塗面に浮かぶ埃を弾いていく。
 続いて布に研磨剤を染みこませ、ひたすら擦る。塗面は白っぽくツルツルになる。
 そこに漆を薄くかけ、乾かし、手のひらに磨き粉をつけ、幾度となく塗面に擦りつける。塗面は鏡のように煌めきだした。
仏壇は仕上がりつつある。

 家に帰るとチカは文机に向かい小物の補充に励んだ。小ぶりの刷毛に漆をすくい、手元を震わせながら繊細な作業をこなす。チカの部屋は日付が変わるまで明かりが点いていた。

 絢子はフォーマルな身だしなみで電車に乗り込んだ。大阪駅南口へと下りると天を突くビルの林立する町中へと紛れていく。
 始めに向かったのは雑居ビルに居を構える小さなスタジオであった。絢子は受付を済ますと奥の小部屋に通される。最中、オフィスではキャラクターの色付け、アニメーションの動作確認が行われ、絢子は目を輝かせる。
 少し間を置いて面接官がやってきた。小規模な会社らしく、装いがカジュアルで、責任ある立場にも関わらず年齢は若そうだ。
 マンツーマンでの面接が始まり、しばらくの間は滞りなく進んでいった。
「ありがとうございます。それでは次に……」
 面接官が事前に提出された資料から目を離し、
「現在滋賀にお住まいとのことですが、採用が決まれば大阪に移り住まれるということでよろしかったですか?」
「は、はい。そのつもりです!」
 絢子はあがり気味に答える。
「それでは弊社を志望された理由はなんですか? なぜ地元でお仕事を探されるのではなく、なぜ弊社を選ばれたのですか?」
「それはですね……」
 急に、
 不意に、
 転職サイトで検索にかけた時の事を思い出す。
「あの……以前からアニメの仕事に携わりたいと考えており……」
 また、検索条件から【滋賀】を省いたことを思い出す。
「卒業した美大でもその為に研鑽を……」
「はい。その中でも当社を選んだ理由を教えて頂けませんか?」
「で、ですから、あの……」
 覗き込むような面接官の視線。
「……」
 何も答えられなくなる絢子。

 絢子はメモを片手にオフィス街をひた歩いている。
「御社を志望した理由につきましては、オリジナルIPを幅広く展開されておられ、私のこれまで学んだことを活かして頂きたく……」
 ぶつぶつと何度も繰り返す。

 次の面接会場は高層ビルに居を構える有力企業。緊張した面持ちで面接官らと向かい合っている。
「ありがとうございます。それでは次に……」
 と面接官は資料をめくる。
「あなたが弊社を希望された動機を教えて頂けますか?」
 絢子は目をつむり息を整え、
「はい、私が御社を……」
 また急に、検索条件から【滋賀】を省いたことが脳裏に浮かんでくる。
「……」
 口を開いたまま動けなくなる絢子。
「どうされました?」
 怪訝そうに面接官が尋ねる。
「わ、私が……私は」
 絢子は何度もどもる。
 それ以上、何も言うことが出来なかった。

 黄昏の中、電車に揺られ、外を眺める絢子。潤んだ瞳に西日の射した琵琶湖の煌めきが映り込んだ。

カバかもん
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カバかもん

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