美しい湖と変な歴史人
リリエとアリサはゆっくりと琵琶湖まで歩いた。大きなお腹を抱えるアリサはふうふうと息を切らしている。アリサの丈夫そうなカバンを代わりに持ちながら、「大丈夫?」とリリエは彼女の背中を支えるように声をかけた。「うん、大丈夫よ。ありがとう」と答えたが、やはりきつそうだ。
最近は日が短くなってきたので、夕方でも辺りは薄暗い。ただ、夕日が沈む美しい風景を見ることができた。「すごい。こんなに綺麗なんだ。湖に夕日が反射してる」とリリエは見惚れて呟いた。「私もよくここへ来るの。辛いって感じるときにね。でもこの風景を見てると小さな悩みに感じるし、忘れることだってできるわ」とアリサはゆっくり話した。段々暗くなり、周囲の人々が帰っていく中で、朝の駅員らしき背中を見つけた。「あ、あのおじさんだ」とリリエはまだ巻いているマフラーを握ると「この街の人々はこの風景を見て、いろいろな思いを巡らせて毎日を生きてるの。今も昔も」とアリサは言った。「じゃああの駅員さんもそうなんだね。私のお父さんもここへ来てたのかな」と、夕日の沈んだ琵琶湖を眺めながらリリエは寂しい気持ちになり、ポケットの小袋を握りしめた。
気づくと辺りに人は居なくなっていた。周りの街灯が薄っすらと二人の周りを照らしている。するとアリサが「じゃあそろそろいいかしら。リリエ、私のバッグを開けてみて」とリリエに指示した。言う通りにリリエがバッグの口を開くと、アリサの店で非売品として置かれていた、あの綺麗なガラスのお皿が出てきた。「あっ、これは私がさっき見てたお皿!」と言って、ハッと思い出した。アリサが名物を取りに行くといいながら店へ入っていったのは、きっとこの皿をこっそり持ち出す為だったのだろう。
すると急に皿が輝きを放ち始めた。「わあ!」と思わず声を出したリリエの前には、気づくとライダースジャケットを着てパーマをかけた男性が立っている。チャラチャラした見た目の彼は、つけていたサングラスをおもむろに外して「よう!初めましてでございますな。俺の名前はマスター・ジョウ。ジョウでいいんだぜ」と、めちゃくちゃな言葉で話し始めた。するとアリサが「ジョウ!無理な日本語はもう諦めなさいよ。見ていて恥ずかしいわ」と言い聞かせた。リリエは自分を超える変人ぶりに圧倒されて思わず「どちら様ですか?」と聞いてしまった。「アリサの友達さ。彼女のお陰で現代を楽しめてるよ。いつも雑誌で服装を勉強中だ。そのうち大型二輪の免許を取ろうと思ってる」とジョウがベラベラ話し始めたのを遮って、「ジョウは歴史人なの。いつの時代の人だか分からないけど、私がこのお皿を作ったときに蘇って。現代の若者を見てたら真似したくなったらしいわ」と説明した。するとジョウは「今は真似だけどな、そのうち追い抜かして最先端を行くんだ」と自信たっぷりに腕を組んだ。「まあ、決して悪い人じゃないから許してあげて」とアリサは言ったが、リリエは頭の中で車の大渋滞が起こっているような気分だった。
「どういうこと?この人が歴史人?アリサが蘇らせた?」と疑問だらけのリリエに、アリサは説明した。「そう。私はガラス細工を作れるだけじゃなくて、同時に歴史人を生み出す力もあるみたいなの。私のおじいちゃんがそうだったんだけど、その能力を引き継いじゃったみたい。黒色が持つ底知れない力と、ガラスの透明さ、この正反対の力がお互いぶつかることで歴史人が蘇るきっかけになるの。でも当然それだけじゃ何も起こらない。そこで私やおじいちゃんみたいな、不思議な力を持った人間が能力を発揮して初めて昔の人が蘇る。そうおじいちゃんに教えられたわ」とアリサの話を聞きながら、リリエは胸が高まってきた。「でも、なぜこんなことが起こるのかは全く分からないの。謎だらけよ。特にジョウは不思議よ」と、ちらっとジョウの方を見た。「不思議なことって?この見た目?」と、直球な質問をリリエがすると「君に言われたくないな」とジョウに最もな意見でお返しされた。「他の歴史人と違って、彼はいろんなことができるのよ。例えば見た目を若くしたり歳をとらせてみたり、すぐに移動できたり。特に、夜この琵琶湖へ来るとその力が強まるみたい」とアリサが話していると、ジョウが「アリサ!そんなどうでもいい話をしてる場合じゃないだろう。それより彼女に早く頼みごとをしたらどうだ」と急かした。
リリエは話の続きが気になって仕方なかったが、アリサは「じゃあ」と、リリエが持っている綺麗なガラス皿を見て「これを、長浜にいるあいだ大事に持ち歩いて欲しいの。そして家まで持って帰って」と頼み事を明かした。「えっ、どうして?このお皿がないとジョウはここに居られないんじゃ・・・」とリリエは予想外の頼みに受け入れて良いのか困惑した。「そんなことはないの。お皿さえ壊れずにいれば、彼はどこへでも行けるから。でもお皿が壊れると消えてしまうのよ」と心配そうなアリサを見て、リリエはピンときた。「このお皿は壊されちゃうってこと?」「そう、狙われるかもしれないの。あの家に置いておいたら大変だわ」自分の家を危ないと言うなんて一体どういうことだろうと思っていると、「でも大丈夫よ、まさかこのお皿をリリエが持っているなんて誰にも分からないから」とアリサは自信を持って言った。
「でも待って、それより狙われるかもしれないってどういうこと?」と言うと、アリサは「それはね・・・」と言いにくそうだ。するとジョウが代わりに説明した。「アリサの相手を俺ってことにするんだ」それを聞いたリリエは「えっ?!赤ちゃんのお父さんはジョウなの?!」と、飛び上がって驚くと「そうじゃない!俺が父親だって嘘をつくんだ。アリサの父親や何とかばあさんに」とジョウはリリエが理解できるように説明した。それを聞いてリリエは「何だ、びっくりした。そんな訳ないよね、歴史人との間に子どもなんてできる訳ないし」と納得した。そのとき、リリエは一瞬二人の表情が固くなったように感じたが、ずっと気になっていた疑問があったので気のせいだと思うことにした。「それじゃあ本当のお父さんは誰なの?」と聞くと「ハヤテっていう幼馴染よ。同じ黒壁商店街に住んでて小さい頃からよく遊んでたわ。ただ、何故かお父さんは気に入らないみたいだけど」とアリサが話した。「そういえばさっきお店で聞いた名前だね。でもどうして嘘をつくの?本当のことを言った方が良いと思うけどな。それにジョウが父親だなんて言ったらみんな余計に怒るんじゃない?」と、いつも通りの悪気ない発言に「何だと?!」とジョウがいきり立った。だがアリサは正論を言われていると分かっているらしく、「そ、それはそうなんだけど」と、リリエの意見を認めながらも「ハヤテが相手だってことは隠さないといけないの。嘘に巻き込んでごめんなさい」と謝った。「隠さなきゃいけない理由は?」と問い質そうとすると、ここでまたジョウが「もうそろそろ話に行った方がいいぞアリサ。お前の様子を見ていると、子どもが生まれるまでもうあまり時間が無いように感じる」と話を折った。「そうね。リリエ、詳しいことは後で話すわ。だからお皿をお願い、ジョウを守って。あなたにこの頼み事をしたのは、最初に目を見たときから特別な何かを感じたからよ。何かは分からないけど、お腹の子もそれを感じたみたいなの。不思議とそれが通じるわ」とアリサはリリエの手を握った。こう言われてしまうと「分かった、任せて!」と言ってしまうのがリリエの調子者なところでもあり、人が良いところでもある。お皿をバッグに戻すとリリエは大事に持ち、「じゃあ私は陰で見ていればいいんだよね?」とアリサに確認した。「そう。私がジョウを相手として紹介したらきっとみんな騒ぎたてるけど、何とか逃げるわ。そうしたら夕ご飯奢るわね、家には泊まれないかもしれないけど」と答えるアリサに「そんなお腹なのに、本当に大丈夫?」と心配すると「大丈夫よ!ジョウがいるもの。ね!」と、アリサはジョウを随分と頼りにしているようだ。「ああ。任せな!」と彼は答えたが、なぜそんなにジョウを信頼できるのだろうかとリリエは不安だった。「よし、急ごう」とジョウが歩き出し、二人もそれに続いて琵琶湖を後にした。