1・海無県J、ウミ有県で行き倒れ小学生と出会う
八月三十日の正午。桜は日本八内陸県の一つ、滋賀にある小谷山を登っていた。途中立ち寄ったスーパーで買った地元名物サラダパンを食べながら。
「どいつもこいつも……私を何だと思っているのかっ」
イライラとパンをかじる桜は、昨日の晩の事を思い出していた。
母に長浜への買い物を命令され、泣く泣く頷いた桜は、自室の布団の中で、小学生の時からのオタク友達である平城香乃子(ひらき かのこ)にSNSで愚痴っていた。しかし、香乃子から帰ってきた言葉は。
「マジ!?ラッキー!それなら、姉川か賎ヶ岳、どっちかの古戦場の写真プリーズ!」
同じオタクではあるが、桜が今はまっているのは日本刀を擬人化したゲームだったが、香乃子は戦国武将が出てくるゲームだった。特に、美形化された信長と秀吉がお気に入りの香乃子にとって、長浜市は垂涎物のスポットらしく、春日大社宝物殿がお気に入りの桜と違ってハイテンションになっていた。他の友達であれば、そんな要求は放っておくのだが、小学生の時に共に励ましあって苦手な水泳を克服し、最終的には遠泳まで出来るようになった親友で、今でも辛い時に支えてくれる香乃子に桜は弱い。又、苦労して一人で娘を育てる八重にも桜は弱く、この二人のおねだりを無視はできなかった。
そして現在。八重にお駄賃としてもらった小遣いでバスに乗って小谷城跡に来た桜は、姉川古戦場が一望できるスポットを探しながら歩いていた。
後少しで本丸に着くという頃、桜の目の前に子供がいた。正確には、通り道の石段に小学生らしき少年が、ぐったりと座っているのだ。桜は慌てて少年に近づいた。
「き、君、大丈夫!?」
「……はっ」
「は?吐き気がする?」
「腹減った……」
桜が少年の肩に右手を置いて、軽く揺さぶると、青い顔を上げた少年は、桜が左手に持つサラダパンを見た後、そう呟いた。
「ふ~ん、それで行き倒れそうになっていたと」
「うん」
少年は、桜は八重と香乃子のお土産に買っていたサラダパン二つをペロリと平らげた後、頷いた。
少年の名は、有海健司(ありうみ けんじ)、草津市在住の小学五年生。最近、父親の転勤により東京から引っ越してきた。友達が出来ないうちに一学期が終わってしまった。なのに両親は共働きで忙しく、今年の夏は塾にしか行っていないらしい。
「勉強ばっかって……つまんない夏だなぁ」
「だろ?だから、国語の宿題の絵日記がいつまでも進まないんだ。だから、最後くらい一人ででも出かけようと思って、塾をさぼった」
「しかし……なんでここなのさ?」
小谷山は標高約五百メートルの山だが、かなり急勾配で登りにくく、それゆえに城があったという場所である。桜はバスで途中まで来たから元気なだけで、麓から歩いたら倒れる自信がある。
「しかも飲まず食わずって、無謀すぎるぞ~」
桜は、健司の頬を摘まんで伸ばしながら言った。健司はそれを手ではらった後、プイと横を向きながら口を尖らせた。
「だって、あんまり小遣い持ってないし……ジイちゃんと約束した場所だし」
「ジイちゃん?」
「母さんの父さん。余呉って所に住んでた。もう死んじゃって家もないけれど。前に見てたドラマに此処が出たから、一緒に行こうって言ってた」
「でもお祖父さん、絶対バスで登るつもりだったと思うけど」
「でもオレ、金ないし……」
どことなく悲しそうな顔で俯く健司を見て、桜は考えた。八重に貰った小遣いは少々多めで、余った分は返そうと思っていた。昔、おつかいのお釣りをちょろまかしたら、しばらく小遣いを減らされたからだ。だが、今日のおつかいは以前とは違い、桜はムシャクシャしているのだ。出来ることなら、腹いせに使いきりたい。健司を助けるという人助けならば、怒るに怒れないだろう。
「よし、任せろ!」
桜は健司の背中をバンと叩いた。
「痛ぁーっ!何するんだよ!」
顔をしかめながら上げる健司に向かって、桜は胸を張って言った。
「私が、絵日記を手伝ってあげよう!」