4・海無県J、逃げられる
午後五時。桜達は、木之本駅にいた。
母親から命じられた酒蒸しようかんを手に入れた桜達は、地蔵院で暗闇の回廊を歩いたり、パン屋でサラダパンを再び購入したりしていると、空が徐々にオレンジ色に染まり出した。京都までは一時間以上かかるし、親に黙って長浜に来た健司を遅くならないうちに帰さなければならない。そう考えた桜は、空が暗くなるにつれて何故か足取りが重くなる健司の手を引きながら、駅へとやってきたのだ。
駅のホームでベンチに座る二人は、パン屋で買った魚肉サンドウィッチを食べながら、京都行きの電車を待っていた。
「あーあ、民俗博物館が長浜駅の側だったらなぁ。長政の刀が見に行けたかもしれないのに……」
閑散としたホームでため息をついた桜は、チラリと横を見た。健司はサンドウリッチを黙々と食べながら、じいっと線路を見ていた。どうも先ほどから雰囲気が暗い。転校してから友達がまだいないと言っていたし、久々に誰かと遊んだことで、寂しくなったのかもしれない。
だが、健司は小学生。夜遊びやお泊りは無断ですることができないのだ。苦笑した桜は、健司の頭をクシャクシャと撫でた。
「……なんだよ」
唇を尖らせた健司は、ムスッとしながらも弱々しく桜の手を払いのけた。
「別にぃー」
しかし、桜はまた健司の頭を撫でた。健司は、払いのけなかった。
しばらく頭を撫で回していた桜だったが、ふと、健司に伝えた方が良いことを思いついた。
「そういえば、今日の出来事で絵日記のページはそこそこ埋まると思うけれど、他はどうするつもり?」
健司は、少し考えた後、顔をしかめた。
「……分からない。塾に行きました、とかしか思いつかない……」
それを聞いた桜はため息をついた後、健司の額をデコピンした。
「アイタッ」
「もうちょっと、今日の事を活かしなよ。アンタ、ご飯は毎日違うものを食べる?」
「……うん」
健司は額を押さえながら頷いた。
「お手伝いは何かする?」
「皿洗いと風呂掃除」
「買い物は行ったりしないの?」
「……自分のオヤツを買いに行ったりする」
健司から色々と聞き出した桜は、ニヤリと笑った。
「ほら、コレで四ページは埋まるでしょう?」
「…………あ」
驚きで眼を開いた健司に向かって、桜は胸を張った。
「一日の行動をバラバラに描けばいいのよ。世の中にはね、皿洗いもしなければ風呂掃除もしない子はそれなりにいるの。食事やオヤツだって皆で同じ物を食べる訳ではないのだから、お気に入りの料理がいかに美味しいかとか、新発売のガムはどんな味だったのかとか、そんな事を別々の日の出来事にしちゃえばいいんだよ。それでも埋まらない時は、塾で何をならったーとか描けばいいんだよ」
「……ばれないかなぁ」
「ばれないって。実際にやった事なんだから、聞かれても答えられるでしょが。嘘は日付だけだし、人って意外と正確な日時って覚えてないから」
「そうかなあ……」
「そうそう。それにばれたとしても……嘘だって証明できないから怒られないって」
健司は、ホッとした表情を浮かべた。
その時、桜達の後ろのホームに敦賀行きの電車が入ってきた。それを見た桜は、呟いた。
「もうすぐお別れだねぇ」
それを聞いた健司は、顔を暗くし、電車の扉を開けて飛び乗った。
「ええええっ!?」
桜が驚いていると、出発のベルが鳴り出す。健司は降りないどころか、奥へ奥へと進みだす。
「あああああっもうっ!」
桜が慌てて飛び乗るとすぐに、電車は出発した。
健司は後ろの車両の扉の前でジッとしていた。表情は暗く、下を向いている。
「一体、どうしたのさ」
「…………」
追いついた桜は何度も問いかけるが、健司はずっと黙っていた。
「黙っててもさ、分からないんだよね」
「…………」
「あ~あ、もうすぐ次の駅に着くよ」
車内に、まもなく余呉に到着するというアナウンスが流れる。それを聞いた健司は、ボソッと呟いた。
「オレ……ジイちゃんの家へ行く!」
そして、電車が駅に到着してすぐに、扉を開けて飛び出した。
「はあぁあああっ!?アンタ、お祖父さん死んだってって、待てーッ!」
桜が慌ててホームに下りると、無人改札を通りすぎた健司が余呉湖に向かって走っていく姿が見えた。