3 天眼の巫女

 翌朝、僕は墓参りを済ませた後、目玉石のある場所へと急いだ。
遠目には以前と何ら変わりがないように見えた石は、
近くで見るとやはり少し印象が変わっていた。
大きさがひとまわり小さくなったように感じられるのだ。

「今回は大変な目にあったね?今、君はどうしているんだい?」
石の前で膝をかがめて、僕はそっと姫に向かって語りかけた。
 サワサワサワッ
水辺の木々たちがその時、ハイと答えるように一斉に葉を揺らした。

「そうか、良かった。ねえ、菊石姫。僕は今回の事があって思ったんだ。
僕はこの先何があっても君の味方だし、この場所を守るためなら何だってする
つもりでいるよ。だからどうか安心していつまでも、ここにいておくれ」
 それは僕の心からの願いだった。この余呉の地は僕にとって大切な故郷である。
だからこそ、ここに住む人々が昔から信仰し守り続けて来た伝説のこの地が、
いつまでも変わらずにあることを願って止まないのだ。

 その日の午後、僕の携帯に轟氏から連絡が入った。
夏祭りの神事の出演者たちの顔合わせをしたいので、
出来ればこの後神社に来て欲しいとのことだった。
僕はその後特に用事もなかったので、すぐに行きますと返事をした。
 
 乎弥神社までは少し距離があるので、おじいちゃんの自転車を借りて行くことにした。
僕は神社の手前にある駐車場に自転車を留めたあと、
久しぶりに鳥居の前にある赤い太鼓橋を渡った。
社屋に続く石段を登っていくと、神衣をつけた轟氏に迎えられた。

「やあ、音弥君、よく来てくれたな。今回は出演を引き受けてくれて本当にありがとう。
あらためて礼を言うよ」
「そんな、こちらこそ。僕でお役に立てれば嬉しい限りです」
「まあ、とにかく中に入ってくれ。神楽に出演するメンバーを紹介するから」
「わかりました」

 社屋の中には、既に10人ほどの参加者が集まっていた。
その前に立って、轟氏は挨拶をした。
「皆さん、本日はご多忙な中お集まり頂き、ありがとうございます。
お陰様で本年も例年通り、乎弥神社の夏祭りを開催する運びとなりました。
本年は皆様方も既にご承知の通り、余呉湖の大切な守り神のご神体である目玉石が
思わぬ被害を受けてしまいました。そこで今年の祭りでは鎮魂の意を込めて
私が依頼した特別ゲストの方々に、雅楽演奏と舞踊を披露して頂くことになりました」

 わあっという歓声がそこで起こり、大きな拍手が巻き起こった。
それが静まると、轟氏は僕を前に出るように促した。
「それではまず、東京から着いたばかりの彼をご紹介させて頂きます。
彼の名は、橘音弥君。既に諸君の何人かは聞き知っているかもしれないが、
彼は雅楽橘流四代目の継承者であり、龍笛奏者としてこの春華々しくデビューした
ばかりの話題の人物だ。それでは橘君、悪いがひと言お願い出来るかな?」
 再び拍手と歓声が湧き起こる中、僕は緊張気味に前に進んだ。

「こんにちは。初めまして、橘音弥です。この度は縁あって、母の故郷である
ここ余呉の地で演奏させて頂くことになりました。皆さまにはお世話になりますが、
どうぞよろしくお願い申し上げます」
そしてペコリと頭を下げようとした瞬間、突然参加者のほうから
すっとんきょうな声が上がった。

「ア、アーッ、あなたはあの時多摩川神社で会った、無作法な人ー!!」
 んんー?何やら聞き覚えのある声だなと思いながら、僕は驚いてその声の主を見た。
するとそこにはついこの間、高月駅のホームで見かけた団子頭に黒縁メガネの、
例の説教娘の姿があった。

(ま、まさか!?一体どうしてあの子がここに?)
唖然として固まってしまった僕を見て、轟氏が慌てて割って入った。
「ちょ、ちょっとどうしたんだい?音弥君。君達はひょっとして知り合いか?」
そこで僕はうろたえつつも、返答した。
「え、ええ。実はちょっと前に一度会ったことがありまして・・・」
しどろもどろに答える僕を見た彼は、今度は手招きをして彼女をこちらに
呼び寄せると言った。

「ふーむ、どうやら君達は知り合いのようだが、個人的な会話は後にしてもらえるかな?」
「ハ、ハイ、すみません・・・」
僕が小さく答えると、彼女もまた真っ赤になって頷いている。

「よろしい。それでは改めてここで、もう一人のゲストを紹介しよう。
ここにいる彼女は雨宮珠里さんと言って、舞の名手だ。僕の友人が宮司をしている由緒ある
神社の娘さんで今回は特別に、秘伝の水神の舞を披露して頂ける事になった」
 オーッという声の後に再度拍手が巻き起こり、今度は彼女が自己紹介をした。

「皆さん、初めまして。雨宮珠里と申します。
微力ながら今回は余呉湖の大切な龍神様のために精いっぱい踊らせて頂きますので、
どうぞよろしくお願い申し上げます! ]
小柄な身体からは想像もつかない、ハキハキとしたよく通る声で、彼女は堂々と挨拶をした。
そしてお辞儀を済ませると、チラッと僕のほうを見た。
その瞳の中には何故か謎めいた光が宿っているように感じられて、僕は一瞬ドキリとした。

 「音弥君、良かったら今晩飯でも食わないかい?」
その日の夕方、帰宅した僕に轟氏から誘いがあった。
そこで僕はおばあちゃんにことわってから、承諾のメールを送った。
 
 午後6時、いつもの愛車で迎えに来てくれた彼は、湖を望む場所にある一軒の料亭に案内してくれた。
夕闇の中にスポットライトで浮かび上がる美しい樹木の向こうに、その店はあった。
 
 「福山鮨」入口ののれんには、そう記されており、引き戸を開けるとそこは明るく、
古風というよりはむしろモダンな雰囲気の佇まいになっていた。
間もなく店の女の子に案内されて、僕達は広めの個室に通された。

 部屋の中央の小ぶりなテーブルには向かい合う二脚の椅子が用意されており、
窓からは先ほど通ってきたよく手入れされた植栽が、ライトの灯りに浮かび出されて見えた。

「なんかここ、とっても素敵な所ですね?余呉にいることを忘れてしまいそうです」
正直な感想を述べると、轟氏が笑って言った。
「そうだろう?何しろここは、知る人ぞ知るミシュラン級の名店なんだからな?」
「え、ええーっそうなんですか?」
思わずのけぞってしまった僕に、彼は続けた。
「まあ、驚くのも無理はないよ。僕も知人の紹介で初めてここを訪れた時は、
ここは京都の料亭か!?と錯覚したほどだったからね?」
 
 サラッと言ってのける彼の言葉に、僕はますます怖じ気づいてしまった。
こんな名店で、僕なんかが食事していいんだろうか・・・?
そんな思いが口に出そうになった時、部屋の扉がサーッと開き
和服姿の女性が現れた。

「今晩は。本日は遠くから、ようこそいらっしゃい
ました。橘様、この度はお目にかかれて光栄に存じます」
彼女はそう言うと、僕の目の前にさっと手を差し出した。
え、何?と面食らう僕を見て、轟氏が笑って説明してくれた。
「いやあ、実はね、今説明しようと思っていた所だったんだよ。
こちらのマダムはこの店のオーナーの奥様でね、雅楽の大変な愛好家で
いらっしゃるそうなんだ。それで前に来店した時に僕が君と知り合いである事を
打ち明けたら、ぜひ今度君が帰京されたらお連れ下さいって頼み込まれて
しまったんだ。そうですよね?マダム」

「はいはい、その通りでございますわ。轟様からお話を伺った時は、大変驚きました。
だって最近新聞や雑誌で話題の、あのイケメン龍笛奏者さんの橘様とお知り合いだなんて!
しかもお親しい間柄とかおっしゃるじゃないですか?もう、それならば今度こちらに
戻られた時には必ずお連れするようにと約束させて頂いていたんです」
マダムは頬を紅潮させながら、興奮気味にそう語った。
そこで僕はやっと事情が飲み込めて、恐縮しつつも握手に応えて挨拶をした。

 その後は正に、美食のフルコースとも言うべき特別な料理が
それに合わせた地酒と共に次から次へと供された。一品一品がまた粋な器に
盛り付けられており、若干二十歳の若造の僕が気軽に口にするのが憚れる、
A級クラスの物ばかりが並んだ。

「どうだい?ここの料理は。どれもかなりなものだろう?」
一尾丸ごとの姿焼きで供された鰻を、美味そうに口に運びながら轟氏は言った。
「は、はあ、確かに素晴らしいと思います。でも僕にとってはちょっとレベルが
高すぎる様な気がして・・・」
すると彼は意外そうに笑った。
「ハッハッハ、音弥君、君は若いのにずいぶんと謙虚なんだなあ?まあいいじゃないか、
こういう経験も人生には時には必要だよ。何事も感謝して受け入れる、そしてそれを
自分の糧にして行けば、それでいいんじゃないかい?」
「ああ、なるほど。そういう考え方をすればいいんですね?轟さん、流石です。
勉強になりました」
「いやいや、とんでもない。僕だってまだまだ発展途上にいる身だからな?」
 そう言うと彼は僕の杯に、並々と冷酒を注いでくれた。そして思い出したように尋ねて来た。

「そうそう、ところでさっきは驚いたよ。まさか君と雨宮君が顔見知り
だったとはねえ。一体どこで知り合ったんだい?」
 いきなりちょっと苦手な彼女の話が持ち出されて、僕は口に入れたばかりの
鮒寿司を、かまずにゴクンと飲み込んでしまった。
「は、はあ、それが出会いは偶然だったんです。たまたま出掛けた多摩川神社の境内で
お参りしていたら、背後から突然現れた彼女に参拝の仕方が間違っていると叱られてしまって。
結局その後は彼女に言われるがまま、お参りのやり直しをさせられてしまいました」
「何だって?それはまた何とも愉快な出会いをしたものだなあ?」
彼がそこでニヤニヤとおかしそうに笑うので、僕はムッとして言い返した。

「そんな、別におかしくなんかないですよ!それより轟さんこそ、さっき彼女を
友人の娘さんとかおっしゃっていらっしゃいましたけど」
「ああ、そうだよ。実は彼女の父親は、僕と大学が同期でね?
共に肩を並べて神道を学んだ仲なんだ」
「へえー、そうだったんですか?」
「うん、それで話をするうちに、彼の実家が長野の由緒ある水神神社である事が
わかったんだ。そこで勉強のために何度か足を運ばせてもらったんだけど、
その時に娘の珠里君のことを紹介されたというわけだ」
「ふーん、なるほど。あ、あと彼女が舞の名手だとも言っておられましたが」
「ああ、その通りだ。雨宮神社では代々女の子が生まれると巫女の修行をさせて、
古来から受け継がれた水神の舞を習得させるんだそうだ。珠里君の場合は特に
非凡な能力を持ち合わせている事から、その踊りにも神に通じる特別な力があると聞いている」

 (非凡な能力ってなんだろう?
それに特別な力を持つ舞とは、一体どんなものなんだろう?)
僕はさっき彼女にじっと見つめられた時に感じた、あの妖しい光のようなものを
思いだして、黙り込んだ。
そんな僕を見て、轟氏は元気づける様に明るく言った。

「まあ、とにかく珠里君の舞は見ものだぞ!当日は夕暮れから境内には一斉に
灯明をともすんだ。その中で舞う彼女の姿は、一見の価値があると思うぞ。それに君のあの、
何とも美しい笛の音色が加わって・・・
ハッハッハ、どうやら一番期待しているのは神様よりはむしろ、神主の私かもしれないな?」
彼はそう言うと、豪快に笑った。
 
 僕は杯に残った地酒に口をつけながら、篝火の仲で妖しく舞う、巫女姿の彼女を想像して、
そっと息を吐いた。






神倉万利子
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神倉万利子

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