闇一点
治部が三回目の破壊が起こったことを聞いたのは髪を結い終わるよりも前、早朝も早朝だった。
それだけ早く報告が入ったということだけでも、いかに兵たちが破壊事件のことを不安に思っているか分かるだろう。
明らかに豊臣に好意を抱いていない人物が自由自在に城内へ現れてあちこちを壊して歩いているのだ。不気味に思うなと言う方が無茶だ。
(しかしどうして悪いことというのはこう、立て続けに起こるんだろう)
もし今、髪結いの小姓がいなければ治部は大きなため息をついていたところだ。
昨日、刑部が熱を出した。刑部にはまず元気になってほしい。だから負担になるようなことは一切話さないと心に誓っていた。
(今回は紀之介と協力して、というわけにはいかないからな……困った)
昨日、刑部を安心させたくて「破壊事件は任せて」とある意味の大口をたたいてしまったことをもう、後悔しかけている。
(いけない、気持ちで負けてどうする! 出来ることをやるんだ!)
治部は心の中で気合を入れなおし、髪が結い終わると、破壊箇所を修復するための工員を手配するよう命じた。また、修復作業が始まるまでの間に検分を行うことを決めた。
そうして予定を立てたのは早朝だったが、日々の政務もあり、治部が現場に着いたのは昼になろうかというころだった。ちょうど工員たちが現場に辿りついたときでもあったので間一髪、手を入れられる前の破壊現場を見ることができた。
治部が実際に現場を見てみるのはこれが初めてのことだ。
(人目につきにくいところでやる。これは今までの傾向と同じだが、まさかこうもやられているとは)
今回も本丸の中、近くで草がさわさわしているようなところにある石垣が破壊されていた。だが話に聞くよりも随分激しく崩れているように治部は思った。石垣と言うからには、石なのでそう柔(やわ)ではないのにだ。
巨大な槌を持ってきて叩くならば相当時間がかかりそうで、現実的ではなかった。叩いているうちに派手な音もずっと出続けるだろうから、警固役もすぐ気が付いてしまう。尚更、現実的ではなかった。
(となると、やはりあれか)
治部はすんっと息を吸った。治部の予想通り微かにだが硫黄の匂いがする。爆薬だ。
(破壊する方法までも同じならば破壊事件は全て同一人物の犯行と見ていいだろう。さらに爆発音がしないように何か工夫をしているだろうというのも間違いない。特殊な爆薬を取り扱える時点でほぼ犯人は絞れる。忍の者だ)
城内に忍び込んで工作を行うというのは、忍の主な業務内容の一環と言える。ここは特に不自然ではない。
ただ「嫌がらせ」のためだけにこれほどのことを行うかというところにはやはり疑問が残る。他に意図があるかもしれないということは十分視野に入れておくべきだった。
(忍、というからにはそれが仕事だといえばそれまでだが、こうも簡単に勝手に忍びこんで本丸の中で好き勝手されるとは)
唐入りでの連戦連勝に湧く名護屋城は毎日が祭りのようににぎやかで華やいでいる。だが満点の光の中に一点の闇が綻(ほころ)んでいるのがこれなのだとしたら……
暖かい風の中、治部は一人寒気を感じた。
「お殿さま、もういいですかい? 作業に入らせてもらっても」
検分が終わるまで待たせていた工員たちがそわそわとしていた。親方が治部に話しかけたことによって治部ははっと我に返った。
「あっ、ああ。すまない。よろしく頼む」
そもそも、壊れたものを放ったままにしておいては豊臣の名が廃ると、だいぶん急かして来させているはずの作業員たちである。
ばつが少し悪かった治部はそそくさと屋敷の方へ向かって馬を出した。
しかし治部はすぐに本丸の方へ戻ることになる。
治部が本丸の門を抜け、急な坂道を下っていたところ、坂道を上って荷台を引いていた商人が不意にうめき声をあげて立ち止まった。
うめき声だけでなく苦痛に顔を歪めており、その表情もただごとではない。荷台は今にも手を放してしまいそうだった。
「どうした!?」
治部は連れて来ていた自分の部下よりも前に馬からさっと飛び降りて、商人のもとに駆け寄っていた。それが商人の手と荷台が放れてしまったときでもあったので咄嗟に荷台を代わりに掴んで引き寄せた。
「う、ちょっと……今……」
治部は会話が困難なほどの激痛が商人の腰に走ってしまったことを、見て悟った。
「とりあえず本丸の中にこれを運び入れればいいのだな?」
商人がなんとか頷くのを見て治部は商人の代わりになる決意をした。
「ではこれはこのまま儂が運ぼう。甚五! この人に付き添ってあげなさい。あとは任せるぞ」
「はい!」
甚五と治部に呼ばれたのは連れて来ていた部下のうちの一人で、何事にもはつらつと取り組むことができる青年だった。
治部は甚五がいれば大丈夫だと安心して来た道を荷車引いて戻って行く。
こうして治部は本丸の方へまた向かうことになった。
この選択が吉と出るか、凶と出るか、このときには誰も知るよしがない。