帰還
「紀ノ介……!」
治部はがばっと飛び起きて、刑部の肩を揺らした。
夢の中ではとにかく必死で、己がどのような言葉を刑部に投げていたのかさえ記憶になかった。刑部にちゃんと伝わっているのか……
しかし治部の心配なんのその、刑部の目蓋(まぶた)は朝の光を受けて蕾がほころぶ花のように開いた。
「起こしてくれたのか、佐吉。おはよう」
「…………!」
刑部は昨晩まで熱に侵されていたことがただの悪い夢であったかのように、ぐっすりと寝て気持ちよく覚醒しただけの人に見えた。
治部は安堵と嬉しさとで、もう言葉にならない。嗚咽が漏れてしまう。
「泣くな、佐吉。どうしていいか分からない」
刑部は口ではそう言いながら、自ら上体を起こして治部をそっと抱き寄せた。
治部もそのまま刑部にむしゃぶりついて泣いた。そうしていると、刑部の心地よい体温と心臓の鼓動が治部に刑部の生を実感させた。
「紀ノ介が生きててよかった」
治部は泣きじゃくっているが、刑部としても泣きたい気持ちは同じだった。
刑部は治部や主計頭とは違い、ずっと夢の中にいた。だから大けがを負って息も絶え絶えな治部だけが真実だったのだ。
それが現実の治部は怪我一つなく、今こうして元気に泣いている。どれだけ幸せなことであろうか!
「よし、頑張ろう」
治部がまだ鼻をぐずぐず言わせながらも、刑部から身体を離して言った言葉が、刑部の中に芽生えた気持ちと全く同じだったので、刑部も力強く笑って「ああ!」と答えた。
二人は身支度を共に整え、朝餉をとりながら作戦を練ることにした。
「紀ノ介、そんなに食べられるのか?」
刑部は昨晩まで病人だったことを感じさせない食欲で、なんでもぱくぱくと食べた。
「いや、もう腹が減って減って仕方ないんだ」
「元気で何よりだが、急にものを入れすぎると腹を壊すぞ」
「ああ、そうか。しばらく固形物を食べていなかったのか、俺は」
刑部はあの現実のような夢の中で普段通り過ごしていたため、どうしても記憶が混濁していた。
そのせいもあるのだろうか、不思議なことに、刑部の身体は全く普段と変わらない調子だった。これは凄まじいこととしか言いようがない。
「身体は何ともないし大丈夫だとは思うんだけどな、佐吉の言うことも一理ある。今はほどほどにしておこう」
「全て終わったらうちで食べよ、な」
治部はちゃっかり、昨晩から刑部の屋敷の世話になっていたのでそのお礼を兼ねて、刑部とその身の回りの人たちをもてなしたかった。
「ありがとう。そうさせてもらう」
刑部は単純に治部と一緒に飲み食いしたかったので快諾した。
「それじゃあ、今日の流れについてだが、整理しなければいけない情報が多いな。落ち着いて、見落としのないように」
「ああ」
治部は自分にも言い聞かせるように言った。