反撃の狼煙
まず治部は情報の共有から始めた。どこから話せばいいのか考えたところ、そういえば刑部は火車の存在すら知らないのだった。
牢に入れている“使いの者”が火車という集団の一員だったこと、夢の中で戦った敵には皆、左手の甲に火車の焼きごての印が入っていたこと、そして敵は破壊された築地や石垣を直すために呼び寄せていた工員たちの一部だったこと……治部は簡潔に伝えていった。
「おやまあ、俺が寝ている間に大変なことになっていた」
刑部は口調こそのんびりしているが驚きを隠せない。
「だから俺たちがやらなきゃいけないことは主に三つだ。まず今日、もうじき四回目の破壊が起こったことが伝えられるはずだ。それに対して何も知らないふりでいつも通り工員を呼び寄せ、全員捕らえること。この工員たちの中には敵ではない本物の工員も混じっているから、手荒な真似はせずに話を聞きたい」
治部がてきぱきと話すのを刑部はうんうん、と頷きながら聞く。
「二つ目にやるべきは、天守の放火を阻止することだな」
「ああ。工員たちを捕らえるのは左近に指揮を任せようと思う。俺たちだけで天守に向かう」
「分かった。そして殿下の安全を確保して、最後は火車とやらの本拠地に乗り込むんだな?」
「そうだ」
阿吽の呼吸でするするとやるべきことが整理されていく。「豊臣の獅子と牡丹」の名は伊達ではなかった。
治部の予想通り、伝達係はそのうちやってきて四回目の破壊が行われたことを告げた。また、忍び込んだ敵に対し見張りの兵が傷を負わせることができたところまで夢と一致していた。
「ご苦労。続いてこれを左近に渡してもらえるか?」
治部は今までの経緯とこれからの計画を書いた書状をのりづけして伝達係に渡した。工員たちを呼び寄せる頃合いも、左近に任せることにした。
「これで、ひとまず工員たちのことは大丈夫だ。左近がなんとかしてくれる。天守へ行くぞ、紀ノ介!」
「ああ、佐吉!」
天守から失火が起こる可能性が一番高いと考えられたのは厨(くりや)だった。
そもそも天守に厨があることが珍しいことなのだが、珍しいというだけでないわけではない。
この名護屋城の天守は戦のための実用性はもちろん、権威の象徴としての側面も多く持っており、宴や接待が行われることは少なくなかった。台所丸と天守は離れていることもあり、厨を併設した方が便利良いと考えられたのだ。
「厨へは、茶会の前に不備があってはならないから視察に来たという設定でいく。あくまで、ちょっと覗きに来たという感じを醸し出すぞ」
「ああ。分かっている」
天守まで移動する間そのようなことを話し、治部と刑部はまさに「ちょっと覗きに来た」という様子の危機感も何もない涼しい顔で、厨に入ってのけた。
厨で準備していた女中たちはいい意味でざわめきあった。若く美しい、豊臣きっての貴公子が二人そろってこうして現れたのだから有難い!
「よくしてくれていますね、ありがとうございます」
刑部は穏やかな笑みをたたえながら、色気と愛嬌を振りまく。治部にはそこまでの余裕はなかったが、笑みは絶やさなかった。ただそれはあくまで演技であり、治部は必死に放火犯になり得る人を探す。
治部が手掛かりにしようと思っていたのは、やはり火車の証である左手の甲の焼き印だ。
あの焼き印は、左手の甲にあると意識しない限り意外とばれないものだが、こうして密集して働くとなると間違いなく目立つはずだ。包帯か何かで左手を覆っているのではないかと予測していた。
そして治部はその人を見つけてしまった。顔の美しい女だった。周りの人とも打ち解けて話しており、何の問題もないように見える。
(本当にただ、怪我しているだけの可能性もなくはない。あの包帯の下を見なければ!)
治部は少々強引な手に出た。
その女の人にさりげなく、近づいていきながら懐から矢立(やたて)と紙を取り出す。
「ご馳走を見ていたら思い出した。しまった、米の収穫量について計算しておくのを忘れていた! 少し、失礼」
独りごちて、意味はないがそれらしく見える数字や文字を紙に書いていく。包帯をしている女の前まで来たとき、矢立を不意にぽいっと投げ捨てた。矢立はその女の左手に当たってその場で墨をぶちまけた。
「あぁ! すみません! 大丈夫ですか? 計算をしていたら手をうっかり滑らせてしまいました! すぐに包帯をお変えしましょう」
「あ、いえ、大丈夫です、そんな……」
女はむしろ迷惑そうに断ったが、治部は懐から包帯を取り出し、そして女の手の包帯は剝きとってしまった。その間にも治部の疑念は確信に変わっていた。
(包帯の巻き方が甘い。ほら……)
女の包帯がとれると、墨をかぶって見えにくくはなっていたが火車の紋が浮かび上がっていた。