火車地獄1
二人はあらかじめ、質素な着物に着替えておいた。今回は「火車の一員になりたい浪人」のふりをして火車の本部に入り込み、実態を探るつもりだ。変装に割く時間が惜しかったため、着替える以外のことは何もしていない。
「こんな適当な変装で大丈夫だろうか。今更、不安になってきた」
治部は火車の本部を目指して街の中を歩いている最中なのに、刑部にぼやく。
「屋敷を出るときの意気込みはどうした。もっと肩の力を抜いた方がいいぞ」
刑部は流石、全くいつものように平然としていて治部の肩をぽんぽんと優しくたたく。
「うん、分かってるのだけど……」
「それより、火車の根城がどこにあるのか分かるのは佐吉だけだ。佐吉が早く見つけてくれないと、変装がばれるまでもいかないぞ」
「それも分かってる……!」
先ほど治部の屋敷で、刑部も左近が広げた地図を目の前にしたが、所狭しと文字が書かれている地図は全体的に黒くぼやけて見え、読むことが出来なかった。そのため火車の居所に辿りつくには、治部が地図を見た記憶を手掛かりに探し出すしかないのだ。
「火車の本部はこの近くのはずなんだけどな。あの地図ではそれ以上詳しいことは分からなかった」
「佐吉がそう言うならこの近くにあるだろう。頼むぞ。視野は広く、でも遠くを見すぎて近くを見落とすのもだめだからな」
「んもう! 他人事だ!」
「他人事だが?」
刑部の余裕の笑みに、治部は顔をぎゅっとしわくちゃにして反抗する。
だが刑部はわざと治部に重圧をかけてからかうと同時に、真面目に助言もしていた。治部はそのことにすぐ気が付いた。
「俺、紀ノ介の言うように視線を遠くへやりすぎていたかもしれない。本当はすぐ近くにあって、見落としているなんてことは……」
そのような意識で街の景色を見ると、今まで目に入ってこなかったものが入ってきた。
「もしかして、この路地……」
その前を何回も通り過ぎていたにも関わらず、初めて治部はその路地に顔を入れて中を確認した。すると、路地の奥には道が続いていた。
「ここを抜ければ火車の本部に辿りつくかもしれない」
とても細く暗い路地だった。大人の男の肩幅がなんとか擦れないで通れるくらいの狭さだ。
「一人ずつしか入れないから紀ノ介は俺の後をついてきて」
「分かった。ありがとう」
治部はゆっくりと慎重に歩いた。路地は進めば進むほど光が差し込まなくなっていき、不気味に暗くなってゆく。同時に、二人の鼻は少しむずむずし始めた。
「妙なにおいがするな。甘いような渋いような……」
「香でも焚いているのだろうか?」
何かの罠かもしれないと最大限警戒して足を進めたが、結局はただの不思議なにおいだった。それ以外は不審なこともなく治部と刑部は路地を抜けることが出来た。
そしてそこには圧巻というべき、大きな屋敷がそびえていた。
「まさかこんな、大きな建物があったとは! 表からは何も見えなかったのに!」
治部があっけにとられてぽかんとしていると、屋敷から若い男の二人組が出てきた。
「ようこそおいで下さいました!」
「あっ、えっ?」
治部はすぐに自分たちの変装が明らかになって敵意を向けられると想定していたのでこの歓迎には戸惑った。
「本日はどういったご用件で?」
「ええ、俺たちは、火車に入りたくてここまでやって来ました」
治部の代わりに刑部が真剣な声音と表情で答えると、男たちは満足げにうなずいた。
「それはそれは! 火車は全ての哀れな人を見捨てない! 歓迎します! 今日という良い日を選ばれたのもまた運命。さあ、早くこちらへどうぞ」
「ありがとうございます!!」
今度は治部も刑部とそろっていい返事をしたが、二人とも内心では面食らっていた。
(思ったより、簡単に受け入れられてしまった。『今日という良い日』とは、今日は城が燃えて、殿下を亡き者に出来る日だと決めてかかっているからだろうが……危機感がなさすぎるのではないか?)
かえって不気味だった。もし、あの不思議な夢がなければ、今日はまさに豊臣滅亡の日だったに違いない。それほどの策を立てられる組織が、「敵」をこのように簡単に招いてしまうものなのか。
(得体がしれないな……)
このままついていけば確実に危険な目に遭うと、治部は本能的に察していた。今なら走って逃げられる。
だが、治部の中に逃げるという選択肢は全く入っていなかった。
屋敷では左近に「二人では手に負えないと分かれば、すぐに引き返す」と約束してきた一方で、「刑部がいれば大抵のことはなんとかなる」と思っていたからだった。
それは刑部にも同じことで刑部は「治部がいればまあ大丈夫だ」とゆったり構えている。
治部と刑部は火車の男たちには見えないようにうなずいて、互いの覚悟を確かめ合い、招かれるままに火車の屋敷へと足を踏み入れた。