火車地獄3
「火車の間」へ向かうときには、治部と刑部は目隠しをつけられた。先日、南蛮船に潜入したときにも目隠しをされるときがあったが、やはり心地の良いものではない。
(まあ、密儀と言ってるくらいだから神秘性を演出したいんだろうな)
治部は無理矢理に自身を納得させて不快感を紛らわせる。
「火車の間」まではそう大した距離もなく、ナユタが演説を行っていた空間から少し奥へ入っただけだったが、その僅かな距離で、ある大きな違いがあった。
(あ、また、あの匂いだ)
それはここへ来るとき通ってきた狭い路地で嗅いだ、『甘いような渋いような』匂いだった。路地ではぼんやりと漂っていた匂いが、ここでははっきりと匂っている。後ろで戸の閉まる音がすると、匂いはまた一層きつくなった。
(この「火車の間」で何か焚いているんだ。その匂いが、狭い路地に集まっていたのかな? そう悪い匂いではないが……)
「さあ、今、ここには四人の新しい仲間のタマゴたちがいる。真に私たちの仲間になるためには、この密儀伝授を乗り越えてもらわなければならない。一人ずつ、参ろうぞ」
急にナユタの声がしたので、謎の匂いに対する治部の思考は中断された。
しかし、ナユタの声が非常に小さく聞こえたことが新たに気にかかった。演説のときから、声を張っているようでは確かになかったがあまりに小さすぎるのではないか。
そう考えていて、ふと、治部は自身の立っている場所がどこか分からなくなっていることに気がついた。目は視界が塞がれていて使えない上に、物音が全く聞こえなくなっていたからだった。
(まずい。あの不思議な匂いを不用心に嗅ぎ過ぎたかもしれない。耳が、おかしくなっている……!)
今は最早、匂いはしなくなっていた。しかしそれは匂いがなくなったからではなく、鼻が慣れてしまったからだろうと思われた。きっと今もその匂いを嗅ぎ続けている。だが、締め切られたこの「火車の間」では、もはや匂いを防ぐ方法はない。
さらに手に氷を当てられているような冷感も始まった。それはどう考えても異常な感覚なのに、不思議と嫌な感じがしない。むしろ、今この状態が心地いいとさえ思えてくる。
「 、こちらへ来なさい」
そうこうしている間にも、密儀伝授は始まろうとしていた。名前までは聞き取れなかったが、ナユタが自分以外の誰かを呼んだことは治部にも分かった。
(一人ずつ、やるんだな。俺も見てみたいのだけど)
今、目隠しを外すのは、火車への裏切り行為になるだろうということは察せられるので、それは出来ない。ならば、与えられている情報から何とか推測するしかないのだが、上手く頭が働いてくれない。
(だめだ、なんだかふわふわするな……なんだっけ、ええと、密儀伝授が……)
思考が全くまとまらない自分に焦りが生じると共に、やはり心地よさもあり、治部の中で感情が真っ二つに割れていた。
(まるで、俺が俺じゃないみたいだ……この状態が続いたら、本当に火車の仲間となって、手にあの烙印を押されてしまう……)
そこまで思ったときに、ぼんやりと気付くことがあった。
(そうだ、烙印。焼きごてを押すことを密儀伝授と言っているんじゃないか?)
普段の治部なら、もっと慎重に思考を重ねて答えを出すが、匂いで思考がまとまらない治部は思い付きの答えに飛びついた。そしてそれが答えだとするならば、今、ナユタに名前を呼ばれた一人目の人はこれから火車の印を左手に焼かれることになる。
「俺の目の前でそんなことはさせない」
治部はあまり考えなしに、目隠しを取ってしまっていた。瞬間、目に入ってきた光景は、治部の考えとおおよそ一致していた。