火車地獄4
火車の間は土足の領域と畳の領域があり、畳の領域は土足の領域より一段高く、そこにはナユタだけが座っていた。供の者は三人いたが全員土足の方にいる。そして先ほどの演説会場と同じようにナユタの周りだけに灯りがともされており、それ以外の光源は存在しなかった。ただ、焼きごてを熱するために用意された黒い火鉢から覗く、赤く燃える炭も外界からの光源が遮断されたこの部屋の中では立派な光源の役割を結果的に果たしていた。
焼きごてが登場することは治部の想定の範囲内だったが、想定外だったのはこの部屋の天井と壁が真っ赤な染料によって塗りたくられていたことだ。
(まるで地獄に連れてこられてしまったようだ)
そう感じる治部の中にはそれでもここを快的に感じる気持ちも同居しており、戸惑った。
(早く、なんとかしないとどんどん皆おかしくなっていく)
密儀伝授を受ける一人目は、刑部ではなかった。しかしその人はまさしく夢心地の表情で、左手をナユタに差し出しているところだった。治部も、もし火車についての予備知識がなく、火車を倒すつもりでやって来ていなかったらああなっていただろうと分かる。
「やめろ、そんなこと!」
治部はさっきから声を出しているつもりなのだが、声がかすれている。さらにここにいる人全員が治部と同じように耳が聞こえにくくなっているようで声が届きにくい。
そもそも治部は目隠しを勝手に取ってしまったのに、ナユタや供の者は密儀伝授に夢中で気付かない。
治部はナユタにもっと近づこうと思い、一歩踏み出したが身体がふわりと軽く感じ、気が付いたときには転んでいた。
(平衡感覚もおかしくなっている……!)
派手に転んだので流石にナユタたちも、治部の異変に気付いた。
「そなた、許可もなしにどうして目を開けている! これは、密儀だと言っておろうが!」
ナユタの怒号はしっかりと治部の耳に入ってきた。それだけ大声を出したということだ。続いて供の者のうちの一人が治部の元にまっすぐ歩いてきて、転んだ治部の左腕を掴んで無理やり立ち上がらせた。そして治部の耳元でこう言った。
「ちょっと、アンタ外へ出ようか?」
「そういうわけにはいかない」
掴まれた腕が利き腕ではなかったことは幸運だった。治部は右手を握りしめ、思い切り腕を振りかぶって供の者の顎を打ち抜いた。
腕を掴まれていたおかげでかえって安定した一撃を加えることができ、供の者はその一撃できゅうと倒れた。
「紀ノ介! ここを出よう!」
治部は相変わらずふわふわした気持ちでいながらも、早くこの場を脱出しなければいけないと思った。
このとき、火車の間に連れてこられて初めて治部の視線は刑部の元へ向かったが、刑部は小さく縮こまり、頭を抱えてうずくまっていた。