治部少の使い2

「あれ? なんでここが開いてるんだ? 誰かここにいるのか?」
 治部はその来訪者の声を聴いて、それが誰かすぐに分かった。そして自分はなんて運がいいんだと安堵のあまり少し涙が出かけた。
「虎之助! 俺だ!」
「は!? 佐吉!?」
 そう、それは加藤主計頭(かずえのかみ)清正、通称は虎之助。――治部の同僚であり、長浜時代の幼馴染ともいえる存在だった。
 部屋の入り口から治部の姿は見えなかったが、主計頭は声のした方へすぐにたどり着いて治部の置かれた状況を即座に理解し刀を抜いた。
「てんめ、佐吉に何してんだ!!」
 二人を一度に相手にすることは出来ないと観念した”使いの者”は治部に向けていた刀を瞬間、自分の胸に勢いよく突き刺した。
 その身体は急激に力を失い、老木が幹から腐り落ちて倒れていくようにゆっくりと横になった。
 治部は命が助かったことへ安堵しながらも、あの獣のようだった“使いの者”が今や目の前でこと切れているのを見ると気持ちが追い付かない。少し呆然として言った。
「た、助かった……ありがとう」
「いや、それは全然いい。コイツは誰なんだ?」
「それを聞こうとねばっていたらこのざまだ。やられた。虎之助こそどうしてこんなところに?」
 治部の問いかけに主計頭は切れ長の目に細面の、少し不愛想な印象の顔に似合わず、少年のようににかっと笑った。
「俺、昔の城の縄張り図見るのすげえ好きでさ。この城の中を探検してたらここにそういうの結構あるって知って、ちょいちょい遊びに来てるんだ」
 そう言って主計頭が棚から適当に取り出して広げた文書を治部はまじまじと見つめた。
「昔って……相当昔のものだな。時代遅れすぎやしないか?」
 それを聞いて主計頭は静かに首を横に振った。
「いいや。温故知新っていうだろ? こういうところからも学ぶべきところはある。絶対にある」
 力説する主計頭にふふふと笑いながら治部は助かった喜びを改めて感じた。
「確かに、それもそうだな。そのおかげで俺が助かったのもまた事実だ」
 その言葉で主計頭ははっとした。
「そんなことはどうでもよかった。ケガだ! 大丈夫か? 痛いか?」
 治部の顎のあたりは特にすっぱり切れており、そこから血が首筋を伝って鎖骨の方へ流れていた。
 心配する言葉はもちろん混じりけのない本心だったのだが、同時に主計頭には治部の白い首筋と赤い鮮血の色の対比が不謹慎にも美しく感じられて少しどきどきしていた。
「ん、見た目ほどは痛くないし、止血すれば大丈夫だろう」
 治部はどこからともなく取り出した手ぬぐいで傷口をさっとおさえた。
「でも……その傷は結構気になるし、それにこの不届き者もなんとかしなきゃいけねえ。ひとまず俺の屋敷に来ないか? んで、ここの処理もウチのモンに任せときゃあええ」
 治部は強がってはいたがやはり顔付近の傷となるとかなり痛み、血も依然止まっていなかった。
「ありがとう。じゃあぜひ寄せてもらおう。ここのことも任せる」
「よし、分かった。立てるか?」
 主計頭は治部に手を差し伸べた。治部はその手をとった。



 そのまま二人は家敷へ向かい、治部は主計頭が用意した医師による適切な治療を受ける。
 医師は「ご運が良かったですね」と冷や汗をぬぐっていた。もう少しであわや命を落としてしまうような決して浅くはない傷だったらしい。だが結果だけ見れば、治部に命の心配はなかった。
 医師にしばらくは安静にしているように言われた治部は大人しく横になっていたが、そのうち瞼(まぶた)が重くなってきた。
「お前、眠かったら寝ろよ」
 隣につきっきりの主計頭はぶっきらぼうだが優しく言う。
「んん……いや、だってまだ夕方にもなっていない」
「どうせ大人しくしてろって言われてんだから、大人しくさえしときゃあなんでもええよ」
「まあ、それはそうかもな……」
 治部としてはまだ日の高いうちに寝るということに抵抗があったが、血を失ったせいかもしれないし、早朝から張り切りすぎたのかもしれない。とにかく眠たかった。
 主計頭が後押ししたのもあって、治部の目は不本意ながらも閉じていく。
「佐吉 大丈夫か……」
 眠りに落ちてしまう前に何故か刑部の声が聞こえた気がした。 

江中佑翠
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江中佑翠

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