税金
夜、久しぶりに『消えノート』を引っ張り出した私は“税金”と書いた。
(これで、由美と岩崎君も幸せになれるし、税金が無くなればみんな喜ぶよね)
翌朝、文字は消えていた。
「税金が消えるって、今いち実感が沸かないなぁ、あっちょうど120円あった、ラッキー」
出勤前に自動販売機でコーヒーを買いながらそんな事を口ずさんでいました。
ガコンという缶が出る音の後にジャラとおつりが出てくる音がする。ぴったりのお金で買った筈なのに、なぜか小銭が出る音がするのだろう?
「あれ、おかしいなぁ十円返って来てる、さっき数え間違えたかな? まぁいいか」
しかし、これこそが税金が無くなった前兆でした。
最初にそれを知ったのは消費税が無くなった事です。税込みで表示されている価格で販売されている物が会計の時には消費税分が消えているので、見た目には不思議な値引きがされるようになりました。
十円が自動販売機から戻ってきたのも消費税分の戻りだったのです。
半年過ぎた頃には税金という概念が無くなった為に儲けすぎた企業は大幅な値下げを行い、反対に給与の手取りが多くなった人々がお金を使うようになって経済は潤滑に動き稀に見る好景気となったのです。
そして由美と岩崎君は結婚し、由美は仕事を辞めて専業主婦になりました。
「今時、専業主婦もって思ったんだけど、結構楽な生活できるから、真之に頼る事にしたんだ~、でも退屈だから遊びに来るんだよ」
「解かった解かった、行ってやろう」
「よし、待ってるぞ」
でも、いつも岩崎君と同じ時間に出勤して同じ時間に退社する私が、由美の暇な時間に行ける事なんて稀だから、由美に会える機会は極端に減ったのでした。
税金が無くなってから一年が過ぎ頃、公共機関の閉鎖が目に付くようになりました。警察官も減少し、それに合わせて犯罪発生率が増えて行ったのです。火事が起こっても青年団の消火活動だけになったので被害が大きくなりました。医療機関も自己負担が十割となり病院に行く人が減り死亡率が極端に上がりました。
国会議員はこの一年で一割以下にまで減少し国の行政は麻痺したのです。
「今月一杯で市役所がなくなるんだって、不便になるね、陽子が結婚する時は婚姻届出すの大変だよ」久しぶりに岩崎君の家に由美を訪ねた私は家に上がり込んでおしゃべりに時間を費やしました。でも話題はどうしても行政の事になっちゃいます。
「大変って?」
「戸籍を管理してくれる人も居ないから、証明が無いじゃない」
「あっそっか…」
「でも、今までってどうやって公共機関の人は仕事してたんだろう?」由美の疑問の答えを私は知っていました。でも税金を消したのは私自身だから説明しても解かって貰えません。
「さぁ」私はとぼけるしかありません。
「町を歩くのも警戒しなくちゃいけないし、物騒な世の中だよね」
「うん…」私の視線が下に落ちた。
「陽子、顔を伏せちゃって、どうしたの?」
「何でもない…」焦って両手を左右に振った。
「本当に?」
心配そうな由美に「うん」と返事をしても気持ちは冴えない。
「私だったら相談にのるよ、何でも言ってみな」友達はありがたいと思った、でもこれは話せなかった。
「大丈夫だから」私は顔をあげた。
「そうだね、何かあったら水野君が聞いてくれるよね」
(そっか、誠さんに相談してみよう)困った時の誠さん、そんな頼り方は誠さんにも迷惑なんじゃないかと思う余裕も無かった。
「ただいまー」岩崎君が帰ってきた。
「おっ、鍋島先輩、来てたんですか?」と珍しく明るい声。この夫婦は本当に幸せなんだと実感し「お邪魔かな?」と気持ちを切り替えてからかってみた。
「全然、夕飯食べていって下さい」
「ありがと、何か夫婦って羨ましいなぁ」と本音が漏れた。
「じゃあ陽子も早く水野君に貰われちゃいな」
私は「は~い」と空元気にも聞こえる返事をした。
「なぁ由美、テレビ付けるぞ」岩崎君が私たちの話を割ってテレビを付けるとバラエティー番組が流れてきました。
「ここに出てる岩崎タローって、俺と同じ名字だから注目してたけど何もしゃべらないよな~、でもお笑い芸人なんだろ? 訳の解からない奴」岩崎君がテレビの男性を指差して言った。
「岩崎タローって無駄なことばっかり言う芸人じゃなかったっけ?」私が聞くと「そんなところ見たこと無いよ」と由美が応えました。
(もしかして、“岩崎君の無駄話”って)私が思い出したのは『消えノート』に書いた言葉。
「ごめん、私やっぱり帰る」
急に力が入らないように感じた身体を無理に動かして、重い足取りで立ち上がりました。
「陽子、大丈夫? 足がふらついてるよ」由美が心配しています。
「夕食はまた今度…」ボーとした頭で岩崎君の家を出ました。遠くに「陽子」と呼びかける由美の声がずっと聞こえていた様な気もします。
「帰ったか?」岩崎君が言いました。
「えぇ、本当に大丈夫かな?」由美はまだ心配しています。
「ショックが大きかったのかもなぁ」
「緊張感が無い声を出さないの!」と由美の怒声。
「でも、ここまで変わるとは予想外だったな」岩崎君のどこか気の抜けた声に対し「陽子って凄いね」由美も感心しています。
「この後どうなるのか楽しみだよ」
岩崎君と由美はこの後別々の部屋に向かいました、そこには仲の良い夫婦の姿は微塵も無かったのです。