終末の後
朝、目が覚めている筈なのに何も見えない、声も出せない、体の自由も利かない恐怖に襲われました。
「お疲れさん」男の声が聞こえる。
(この声は? 戸田課長?)
「トーさんもお疲れ様でした」
(えっ? 誠さん? なんで? 私が消しちゃったのに…)
あの時の悪夢がまだ私の心から離れていません。
「ずっと楽しちゃいました」
課長はそう言うとハハハッと笑っています。
私はすぐにでも誠さんに抱き付きたかったのに体が動きません。それどころか、頭以外は感覚が無い気もします。
そんな私を知ってか知らずか、課長と誠さんの会話が続きます。
「この娘、いい夢見れたかな?」
(課長と誠さんって知り合いだったっけ?)
課長の声を聞きながらそんな疑問が沸いてきました。
「見れたんちゃう? その為に協力したんやから」
(この声は岩崎君?)
私の頭はおかしくなってしまったのでしょうか?
「そうよ、その為になんで私がこんな男と結婚しなきゃいけないのよ!」由美の声もする。
「ええやん」
なぜか無駄話が再び戻っている岩崎君の話し方に「良くない!」と怒鳴る由美の声、中のいい夫婦の姿はどこにもありません。
「まあまあ、イサさんもマーさんも抑えて抑えて」
(さっきからトーとかイサとかマーとか誰の事よ!)
私一人取り残された気分がした。
「この娘も憐れやな」岩崎君が呟きました。
「イサさん、聞こえます」
誠さんが岩崎君をたしなめて言いました。
「意識あるの?」
(由美、何を言ってるのよ!)
「脳は生きています…」
(誠さんも変な言い方しないで!)
「そう、彼氏としてはどんな気分?」
「それは、彼女の記憶の世界ですから」
(何? どういう事?)
「地球に残った最後の人間だなんて、悲しいわね」由美の声は沈んでいた。
「マーさん、聞こえますって!」誠さんは由美の言葉を何とか遮ろうとしていた。
「もし、聞こえてるならそろそろ教えてあげても良いんじゃない? 『消えノート』は陽子の記憶から人間の欲を知る為の実験だったって」由美の声に感情は感じない。
「マーさん!」誠さんの声が怒声に変わった。
「ズキ、いつまでいい子ぶってるの! 彼氏を演じたならちゃんと教えてあげなさい」
「わかったよ」ズキと呼ばれた誠さんの声は、優しかった頃のように私に語り掛けました。
「陽子、僕たちは地球の生き物じゃないんだ。地球は大きな災いがあって生物が暮らせない星になってしまった。
でも、人間と言う生き物は宇宙の中でも特異な進化を遂げた種族だったから、僕たちは人間に学びたいと思った。
そこで無駄を覚悟しながらも地球へ向かうと、たった一つの生命反応を発見した。それが君だったんだ…
保護した君の記憶から人間の生態を研究する事になって、僕とイサ・マー・トーがその研究の担当になったんだ。僕たちは君の記憶に入り込んで君の思い出の人を演じることによって人間の思考パターンをデータとした。
君はもう何度も僕たちの研究に協力してくれている。
そして今回は“欲”の研究をすると決まり、君も忘れていたような日常生活に『消えノート』を登場させた…」
誠さんの声が涙声になった。
「ところが人間の社会は何かが消えると積み木を崩す様に崩壊する不安定な要素を器用に安定させていた。
一市民でしかない筈の君ですらそれを知っていたんだ。君が税金を消した時から我々の予想しなかった方向に流れて行き、制御が効かなくなった為に今回の研究は中止になった。
そして、もう君にも最後の時間がやってきた、この世で最後の人間の命の鼓動が段々弱くなっている」
(何? 意味が解かんない、でも苦しい…)
「陽子ごめんな。そしてありがとう」
(誠さん…誠さん……)
誠さんの声が聞こえなくなったけど、近くに居るのが解かった。
(消しちゃってごめんなさい。私、凄く後悔した、でも無事で安心した)
私の目から一滴の水滴が流れたのが分った。
「陽子!」誠さんが叫んだ。
(例え、記憶の中でもあなたと新しい思い出ができて良かったよ…)
ここで私の意識は消えた。
「助けられんかったな」イサが声を落とした。
「私たちのした事って何だったんだろう? 結局陽子を苦しめただけだったのかな? 全部無駄だったのかな?」マーも口惜しそうに呟いた
「いいや、そんな事無いさ」
「トーさん」イサが後ろからの声に振り向いた。
「俺たちだって、いつこのような運命になるかわからない。明日になったら起きて来れないかもしれない、生き物は生まれた時から死に向かってカウントダウンしている。
だからって俺たちのやった事は無駄だったか?
『どうせ○○だから』っていうのが全てならば、どうせ腹が減るのだから飯は食わないのか? どうせ死ぬのだから生まれないのか? 違うだろ?
やがて、俺たちは居なくなっても残り続けるモノもある…
結果があるから意味が無いんじゃない、結果を越えたものが必要なのだ。
残して行こう、それが大切なのだと俺は思う。そして無駄な事は何も無い。たとえ明日この地球のように俺たちの故郷が無くなっても、俺たちが歴史の陰に埋もれても、それは無駄ではない。そうだろう?
俺たちが伝えよう、地球に人類が居た事を、鍋島君の事を…」
「はい」マーが新たな決心を固めた様に強い声で応えた。
「それにしても…」
「どうしたんだ、イサ」
「いや、『消えノート』のモデルにした、あの彼女の記憶にあった青いタヌキは何だったのかな? って思ってさ」
「さぁな、今となっては飯島君の思い出の一つと言うしかないな…」