三、出逢い

普段は、都会にすぐ出られる便利な場所に住んでいるが、故郷もそこからJRで一時間半ほどで行けるそれ程遠くない所にある。
それなのに、あまり帰郷しないのは最初は面倒臭いからだった。
そんな感じで帰らない時期が長くなると、今度はなかなか顔を出し辛くなる、ましてや母が倒れた時は、会社で残業続きの仕事をしてずっとビジネスホテルで過ごし、1週間後に帰宅して留守番電話を聞くまで何も知らなかった。
「輝之、かあさんが倒れた。」
「輝之、かあさんはもうダメらしい、今の内に会ってやってくれ」
「輝之、早く帰って来てくれかあさんが、お前の名前を呼んでいる」
段々深刻になり、声が上ずってく親父の呼びかけを僕は呆然としながら聞いた。
そして…
「輝之、かあさんが今朝早くに死んだ。今夜が通夜で、明日の昼一番に葬式をだす」
母の死を伝える親父の声は、いつも通りだった。
葬式の日の夜こそ僕が帰宅した日だった。

あの日以来、ますます故郷は遠くなった。
もしかしたら、自分の中で忘れようとしたのかも知れない。
睦実との結婚式の前に親父に電話した時、親父は「わかった」と静に応え、当日に僕の顔を見ても母の事は何も言わず、責める言葉も無かった。
「あの時、一言でも責めてくれたらもっと楽だったのに」
 気が重い感じがしながらも、電車は懐かしい駅に到着したのだった。

「今更後悔しても何にもならないな…」
僕は呟く。
何もない田舎の一本道で迷う事のない目的地に向かい歩きながら、さっきから同じ回想をもう何回しただろうか?
しかし、実家に近付くにつれて、思い出すシーンは懐かしい子ども時代へと変わっていった。

 ガラガラ…
建てつけの悪い家屋の玄関の戸を開けると「ただいま」と声をかけた。
何の返事もない。
「何だ、鍵を開けたまま外出か」
幼い頃は普通だった田舎の習慣が、今は無用心に思えてしまう。
仕方ないのでそのまま勝手にくつろぐことにした。

「帰ってたんかい」
親父の声で自分が眠ってしまっていた事に気が付いた。
「こんな所で上も掛けないで、風邪ひくぞ」
そう言いながら押し入れからそれ程厚くない掛布団を出してきた。
「ありがと、もう起きるから」
「じゃあ、後で使いな」
久々の帰郷なのに、そこには通常と変わらない生活があった。
「親父…」
「ん、なんや」
「ただいま」
「一度、家から出て外で暮らしとるモンは『お邪魔します』やろ」
「そうやな、お邪魔します」
「ん、ゆっくりしていきや」
それで充分だった。
親父の思いを知り、今までの柵から解放された。

夜、食卓に並んだ物を見て僕は驚いた。
僕が知っている時には、一度も料理を作った事が無かった親父だったのに、今目の前には素朴でも懐かしい我が家の料理があった。
「お前が大阪に行ってから、母さんと二人暮しやったしな、『新婚のやり直し』とか行ってはしゃいで交代で家事をする決まりを作りよったんや。今思えば、こんな時が来る事を予想しての事だったんかな?」
(それはないな…)僕はツッコミを入れそうになった。
あっけらかんとしたオバちゃんだった母の事だから、親父が慣れない家事で右往左往するのが面白くてやらせていたに違いない。堅物で何についても理由をつけたがる親父と、思い立ったらすぐ行動の母が不思議なほど仲が良かった理由が分かる気がした。
「何をジッと俺の方を見てるんや、薄っすら笑って気色悪い。はよう食わんと片付け大変やねん」
「はいはい」
「母さんみたいな返事するな」
「あれ、真似たの分かった?」
「当たり前や、何年一緒に過ごしたと思っとんねん!」
(僕と睦実は将来こんな夫婦になれるだろうか?)そんな事を思った。
「大丈夫だよ」どこかで聞いた事があるような女の声がした。
「ん?親父、何か言ったか?」
ししゃもを頭から齧っている親父に聞いた。
「ん~ん…んんんーん!」親父は慌てて茶を飲んでししゃもを喉の奥へと流し込んだ。
「こんな状態で何か言えるか!
「それもそうか」
(それに、女の声だったしな。あの声、どこかで聞いたような…)
「お前、ホンマに食うの遅いなぁ」
親父の声で我に返った。
「ごめんごめん」僕は慌てて全てを掻き込んだ。

夢を見た。
幼い時の事
まだ幼稚園に入る前だった
家に前にある小川に僕は落ちた
後で聞いた話では、雪解けの後で増水していた小川は大人でも流されそうになるくらいの水圧だったらしい
僕はもがいた
もしかしたら一瞬の事だったのかも知れない
が、僕には長い苦しみだった
服の隙間からは、凍ったような水が入ってくる
口の中にも水はどんどん流れ入って来た
水・水・水!どこを見ても水だった
その時、目の前に母が居て、「助けておかあさん!」と叫んだ
母は驚いた顔をして、駆け寄ってくる
僕は、近くの草を掴んで、必死に流されないようにしていたらしい
その時の夢だった。
そして、辺りが真っ暗になった
幼い自分は変わらない
「君は誰…」今の自分よりも少し年上の少女が現れる
「何で僕を見てるの?」
少女は囁いた「明日…」
僕の返事も聞かずに少女は消えた
「明日」という言葉を聞いて自分が微笑んでいる事が分かった。


昔ながらの土地では、村はずれにお墓を集める。墓地の周りには自然が豊で、故人が落ち着いて眠るには絶好の場所では無いだろうか?

 実家に帰る時、もう一つ怖かったのが、母の墓に参る事。
 しかし、昨夜の親父との会話で、親父が近くにいれば大丈夫だと判った。
この家と墓地は五〇〇メートル近く離れていたが、母は常に親父の隣りに居るのだろう。

 その五〇〇メートルを歩いて行く事にした。
家を出ると、目の前に小さな川がある。昨日、夢に出てきた時はあんなに大きかったのに、自分が大人になった事を改めて実感した。
小川を越えた時、夢で母が立っていた場所に一人の女性が立っていた。
(あれ、さっきはあんな人、居たかな?)少し気になりながらもその横をすり抜けろうとして何気なく女性の顔を見た。
歳の頃は三十路前後くらいだろうか?それより驚いたのが、母に似ている事だった。そして夢に度々登場した少女にも似ていた。
(あの二人が似ていたんだ…)それは新たな驚きでもあり、発見だった。そして僕は女性に顔をマジマジと見るという失礼を犯した。
 しかし、その女性はそれを咎める様子も無く、また問う様子も見せずニッコリと笑い軽く頭を下げた。
 僕が、失礼の詫びもかねて深々と頭を下げて、視線を戻すとそこから女性の姿は消えていた。
(あれ?)僕は首を傾げながらも墓地へと歩き出した。

(母が親父の側に居るなら、墓参りなんて無意味かもしれないな。)
そんな事を思いながらも、墓前に揺れる先行の煙を眺めて長い間その場所で思い出に浸った。

―昨日の夢に出てきた思い出
―小学校で階段から落ちた時に大急ぎでやってきて、病院に運び込んだ姿
―近所のオバちゃんとの長い井戸端会議
―そして、留守電に残された親父の声

母の生きた証と死んだ証明を伝えるモニュメントに見入った訳ではない。
ましてや、ここで母に語りかけたりしたら、愚の骨頂以外の何者でもなかっただろう。
自分の思い出に浸りながらも、家の前に立っていた母に似た女性の事が頭から離れなかった。
 ただ似ているだけなら、他人の空似で済まされたかもしれない。しかしその女性は今まで何度も僕の夢に登場し、いずれで会う事を表明し、昨夜は「明日」と言った。
(「明日」つまり「今日」だよな。)
あの夢は度々見ていたので、僕の中ではただの習慣になっていて、その事の意味を考えなかった。
だから、「少し年上の女性と運命の出会いをする」なんて希望もなかったし、本当に待っていた事もなかった。目の前に夢の通りの事実つきつけられて、やっとその意味を考えるのにも母の墓の静かさは絶好のスチュエーションだったのだろう。

始めに儀式として点した線香の煙がもう上がっていない事に気が付いたのは散々考えた後にフッと我に返った時だった。
(これ以上考えても堂々巡りだな。)
僕は母の墓を後にした。
(せっかく帰ってきたんだから、近所を歩いてみるか)墓地の入り口に向かいながら次の行動を決めようとしていると、そこに長居の原因となった女性が立っていた。
「長いお参りだったね、夜まで帰らないのかと思った」
(挨拶もなしに、いきなりそんな事言うか?)僕はカチンときたので横柄に答えた。
「まあね」
女性は僕の態度を分かってか分からずか、ますます僕に土足で踏み込んでくる。
「お母さんの思い出で泣いてた?」
何で母の墓だと知っているのか一時疑問が過ったが、小さな町の事だからと、無理矢理自分を納得させた。
「お母さんの事なんて殆んど考えてなかったくせに…」
(何で)僕は衝撃を受けたが、そんな事は表に出さず「関係ないだろ!」と怒鳴ってしまった。
「明日が来たよ」
女性は自らの用件が先と言わんばかりに、少し大きな声でしかし優しく口にした。
「何でその事を…」
今日の僕はこの“何で”という言葉を何度使っただろう?
「さっきまで、それを考えてたんでしょ、私を知ってるみたいだね」
「僕は…」「君を…」「知ってる?」「ん、だよね?」
「君は誰?」
女性の右手の人差し指が僕の言葉を塞ぐ。
「今日は会いに来ただけ、お母さんとの時間を大切にね。私とはこれからゆっくり話をしましょ」
そう言うと女性は僕に背を向けて歩き始めた。
 このまま、奇妙な出来事として終わらせる事も出来ただろう、しかしそうするには余りにも無駄にできない不思議な事ばかりだった。
また、小さすぎない好奇心が女性に声を掛けさせた。
「次は、いつどこで会えるの?」
女性は振り向きもせず応えた。
「小さい町だから、その気でいたらいつでも会えるわ」
(三文ドラマや芝居じゃないんだし、そんな去り方するなよ~)
さっきまでの不思議さは去り、自分に変な演出を行なった女性の行動に僕は可笑しさすら感じてしまった。そんな事は知らない(だろう)女性は静かに遠のいて行った。
一度振りかえったように見えたのは気のせいか?

夢を見た。
今度は小学校の時の事
修学旅行で奈良に行った時
若草山でお弁当を食べていると、鹿が一匹近寄ってきた
動物を見ると食べ物を与えてしまうのは、子どものありふれた行動だと思う
僕も、その例に漏れなかった
そして、お弁当箱の中の玉子焼きを手に取った
ここで、玉子焼き以外の食べ物を鹿に取られたならよくある笑い話だが
僕の場合は、鹿はちゃんと玉子焼きを食べてくれた
ただし、勢い余って僕の手にまで喰らいついてきた
つぶらな瞳の愛らしく見えた鹿が、ライオンよりも怖い存在となった瞬間

故郷に帰ると古い思い出が蘇って来るモノなのだろうか?目の色を変えて襲ってきた鹿の顔がアップになり、僕は叫びながら飛び起きた。
同時に、痛いほどの喉の渇きを覚えるくらいに寝汗をかいてしまった。体の水分が汗として流れたのだろう。
僕は水分の補給をするために廊下に出た。表の川の音がかすかに聞こえる。
(昔はあんなに必死だったのに、今となっては忘れてしまうような話だったんだな。)
時間は人生の全てを流していく。故人となった母の思い出も流れ忘れていくモノなのだろうか、しかし、忘れられた故人はどうなってしまうんだろう?

古楽
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古楽

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