四、再会

 夜が明けた。
「本当に会えるんだろうか」
(小さな町だからって、そう都合よく会えるかよ!)
「でも、会えたら凄いね」
(運命ってやつ?睦実が居るのに?)
「ありえない、ありえない」
言葉に出したり、その答えを頭で思い描いたり一人でブツブツ言っている僕を見ている人がいたら、関わりを避けるに違いない。
 苦笑しながら朝の町へと繰り出する事にした。

 仕事に出掛ける時間には起きてしまうのはサラリーマンの悲しい習慣だから仕方ない。が、子の小さな町が完全に目覚めるにはまだ早いらしい。
 やる事もなく繰り出した町に人通りはまばらだった。そしてしばらく歩くと前から一つの人影が近づいて来る。
(嘘だろ、まさか、ありえない…)
「おはよう」母似の女性が言った。
「何で、こんな時間にこんな直ぐに会えるんだよ!ずっと見張ってたのか?」
「サラリーマンの習慣なんてみんな一緒だもん、朝早く起きてやる事ないんでしょ?」
「う…」
女性言葉は正論だった。
「どこか朝食が食べれる所教えてくれよ」
「自分で作れないの?仕方ないわね」
そう言って小さなため息を漏らすと僕を街中へと案内した。

 駅前のファミレスはこの町唯一朝早くから営業している飲食店らしい。遠距離通勤のサラリーマン達にとって朝食の場となっている。
 案内されるままに店内に入ったが、騒がしさに少々うんざりした。
 席に着くと店員が水を一つ持って来て僕の前に置いた。
「一つじゃ足りないよ」と僕が言うと、店員は少し首をかしげた後に「申し訳ありません」と頭を下げてテーブルの真ん中に水を置いて去って行った。
「私は別によかったのに」
そんな言葉を無視して僕はメニューを見た。
「何にする?」
「私は食べてきたから」
「じゃ、コーヒーとかは?」
「今は、何も要らない…」
「僕一人だけ食べちゃ申し訳ないなぁ」そう言いながらも女性に無理地する愚を避ける事にして「じゃ、ごめんだけど…」と言いながらトーストと目玉焼きのセットにコーヒーを注文した。
 注文を受けた店員の「やっぱり」と言わんばかりの目が引っかかったが、出された料理はそれなりに美味しくて、目の前の女性を気にしないで食べ尽くした。
その間、女性は僕の顔を見て微笑んでいた気もする。

 食事が終わった頃、騒然としていた店内は随分落ち着いた雰囲気へと変わっていた。
「さっき出た電車が、始業時間ギリギリなんだって。」
僕の心の中を見透かしたように疑問に答える声がした。
「これからの時間は、ここも暇だから、ここでおしゃべりしようか?」
「いいけど。」僕はそう答えた。
(でも、こんあ人目のある所で女性と会っているのが知れたら、変な誤解を生むかも)そんな不安な頭を過ぎったが、それも見透かしたかのように「大丈夫だよ。」って声が前からした。
そう言われると、抵抗も出来ないので、ここに長居するため、コーヒーをお代わりしたが、その時も女性は「要らない」と言った。
「さて」僕は話を切り出した。
「まずは、名前を聞かないとな」
「こういう時は男性が先に名乗るものなんじゃないの?」
「古い思想だなぁ」
「あら?古い話だったら、男性が女性に名前を訊ねるのはそのまま求婚の意味だったのよ」
「いつの話だよ」
「『万葉集』の時」
「はぁ?もしかして、日本史専攻とかしてた?」
「常識よ」
「そんな訳ないじゃん、殆んどの人はそんなこと知らないよ。まあいいか。
じゃあ、僕の名前は弘前輝之、二十八歳、大阪の広告代理店勤務のしがないサラリーマン、君は?」
「仕方ないわね、名前は輝実、輝く“輝”に果実の“実”よ。歳は女性には訊かない事ね」
「その名前ってマジ?」
「そうよ、何で?」
「“輝”は僕と同じ字でだし、妻の名前が睦実と言って、果実の“実”を使うんだ」
「あら偶然、まるであなた達の娘みたいね」そう言うと輝実と名乗った女性はイタズラっぽい笑顔で笑った。
「じゃあ、名字は?」僕は当たり前の質問をする。
「内緒、全部教える必要はないでしょ?」
「それなら、普通、名前の方を伏せないか?」
「いいじゃない、私の勝手でしょ!」
「はいはい」難しい女性だと思ったが、機嫌が悪くなられるのも困るから、深く追求しない事にした。
「じゃあ、輝実さんって呼んでいいかな?」
「いいわよ、私は輝くんでいいかな?」
「な、なんか子どもっぽいね…」
「じゃあ、輝之さんって呼ぶ?」
そう言いながら輝実は上目づかいで僕を見た。
一瞬、ドキッとして眼を反らした僕を輝実は面白そうに見た。
「それでいいです」
僕はぎこちなく答えた。
「あっちなみに仕事も内緒」
完全に輝実のペースに乗せられている…
その時、注文したコーヒーを店員が運んできて、僕にチラッと眼をやって、そのまま去って行った。避けられているのは気のせいだろうか?水に対するクレームがそれ程に気に障った事だったのか?
「話は変わるけど…」
店員の登場は、場の空気を変えるには絶好のチャンスだった。
「輝実さんは、なぜ僕に?」
「なぜって言われてもね…、時が来たからかな?」
「答えになってないよ、『明日』って言葉とか、母の墓の事を知ってる事とか、『私の事知ってるみたいだね』って台詞とか!それに、それに…」(何で母に似てるんだ!何で夢の少女に似たるんだ!)そんな言葉がもう少しで荒々しく飛び出そうとしていた。
「お客様、どうかしましたか?」
横からさっきの店員が柔らかく声をかけた。
「いや何でもないんだ、ごめん、ちょっと興奮して…」
僕は頭を左手で軽くこめかみを押えて応え店員を戻した。
 店員は首を傾げて去った。
「何、興奮してるのよ」
輝実は僕の興奮が他人事のように冷静に座っていた。
「ごめん」
「あやまってばっかりね」
「ごめん」
「ほら、また。いいわ、少しずつゆっくり質問に答えます」
「まずは“時”って話かな。私は三〇年前から今日が来る事をずっと待っていたの。輝くんとの出会いもその時から決まっていた子のなのよ」
「は?三〇年前って輝実さん幾つだよ。それにその時はまだ僕は生まれるどころか、母親のお腹の中にも居ないけど…」
「でも、ご両親は既に結婚された居て、いつ子どもが生まれてもおかしくなかったわ。
それに、さっきも言ったように女性に歳を訊ねるものではないわ。
でも、私の見た目から考えない方が良いわね。もしヒントを言うなら輝くんより上でもアリ下でもあるわ」
と、僕が混乱するのを見越したかのように、わざとらしい言い方をした。
「ますます訳が分からない…」
僕は頭を抱えてしまったが、輝実は構わず話を続けた。
「輝くんのお母さんのお墓の事は、狭い町の事だから誰でも知ってるわ。あなたがお葬式に居なかった事とか、今回が久しぶりの帰郷の事、既に奥さんが居る事もね」
「そんなモノか。」
「そんなモノよ、特に輝くんがお葬式の場に居なかった時から、街の噂になるようになったの。こういう所って身内は出席して当たり前になってるでしょ。だから色々な憶測が流れたりもしたわ。
お母さんとの仲が悪かったとか云々。
でも、輝くんの結婚式の時に、お父さんは嬉々として出掛けていかれたから、みんなますます分からなくなって、噂も再燃したの。
分からない事って気持ち悪いから、勝手に納得のいく結果を出しちゃうものなんだよね」
「胸の突き刺さる話を平気でするなぁ」
「あら、本当の話を遠慮して言っても仕方がないじゃない、それに変に嘘をついたら後で話が繋がらなくなってボロが出るだけだし、ある事をあるがまま言った方が親切なんじゃないかな?」
「ごめん」
「ほら、また“ごめん”って、普段奥さんにも謝ってばっかりじゃないの?そんなんだったらすぐに夫婦仲冷めちゃうんだから」
「何できのう今日会ったばかりの人にそこまで言われなくちゃならないんだよ」
流石の僕もカチンときたので言い返した。
「あら、ごめんなさい」
その言葉を聞いたら、お互い眼を合わせて大笑いしてしまった。
「こんな事じゃいつまで経っても話が進まないわね」
輝実はそう言うと、困ったようなはにかんだ様な、悩んだ様な表情でフッと息を漏らした。
「私は言いたい事があるし、輝くんは聞きたい事がある。
お互い同じ事について考えてるんだけど、切っ掛けが掴めないよね。
だから、一旦難しい話は終わりにしない?」
「そんだね」
僕は既に輝実のペースに乗せられていた。
「じゃあ何の話をしようかな?」
「輝くんって子どもの頃ずっとここに住んでたんだよね?」
「そうだけど」
「じゃあ、小学校の修学旅行はやっぱり奈良だった?」
(おいおいいきなり小学校の話かよ…)睦実との披露宴の時の恥かしい話が頭を過ぎった。
「輝実さんはずっとここに住んでいた訳ではないの?」
「ずっとここよ、どうして?」
「いや…」
(やっぱり変な人だよなぁ)
「変な輝くん」
(変なのはそっちでしょう!)
「で、どうだったの?」
「って何が?」
「だから、小学校の時の修学旅行」
「あっ、奈良だった」
「じゃあ、輝くんの学年だよね、鹿に噛まれた生徒がいたのって。」
「……それって……僕……」
「えっ、ご、ごめんなさい」
「いいけど…」
「まさか、目の前に居る人が噂の人だったなんて思いもしないじゃない。」
と言いながらも輝実の目はそれを面白がっていた。失礼な奴!
「で、どうだった?鹿に噛まれた感想は?」
輝実はまるでTVのリポーターのように右手をマイク持ちの形にしながら質問してきた。
「痛かった。怖かった。あれ以来、鹿の姿を見るのも恐ろしくって…。トラウマって言うのかな」
「あの時はまだ思い通りに動けなかったし…」
輝実が呟いた。
「ん?何か言った?」
「えっ?何でもないの」
そう言うとバックからハンカチを取り出しておでこに当てた。
冷や汗を拭いているという事なんだろうか?そう言えば輝実はここに来てから自分の物以外は何にも触れて居ない、潔癖症と言う訳では無さそうだが…ますます頭が混乱してきた。
「…くん、て・る・く・んっ」
「んっ、あっごめん、考え事してた」
「それよりも今日はもう終りにしない?何か疲れたし、このままだったら無駄話で終わりそうだから」
「それもそうだね、長居してお店に迷惑もかけたかな」
そう言いながら立ち上がった時にテーブルに葦をぶつけてしまった。
あっ!と思った時には既に手遅れで、コップの水をテーブルの上にぶちまけてしまった。
 僕は慌ててハンカチを取りだして水を拭く。
「ごめん、濡れなかった?」
そう言いながら前に眼を向け、そのまま立っている輝実を見上げる形となった。
一瞬、何かが頭を過ぎった。
この位置からの輝実の顔を昔見た事がある。
目の前には水が流れている。
あれは、そう、あの、思い出…
思い出した輝実の顔は蒼白だった。
僕は、急に苦しくなった、溺れてもがいている、口の中に沢山の水が入り込む。
(何でこんな事になったんだろう)
幼い頭で一生懸命考えた。
(ただ、お姉ちゃんと遊んでいただけなのに…)
一生懸命掴んでいる草の向こうに、さっきまで遊んでいた姉の顔が見えた。
「助けてお姉ちゃん!」
僕は叫んだ、そう、この時助けを読んだのは母ではなく姉だった。
そして、姉が近づく前に母が気付き、慌てて僕を救い上げた。
(姉?お姉さん?でも、僕に姉は居ないはず。)
しかし、そんな思考は長く続かなかった。
口の中に水が入り込んでくる感覚がする、吐き出しても吐き出しても口に入ってくる方が多い。
(苦しい、お・ね・え…)
こうして僕は意識を失った。

 どれ程の時間が流れたのか分らない、いつも以上に僕を苦しめたあの記憶は過ぎ去り、僕は闇の中に一人残されていた。
僕は、不安に襲われたが、どうする事もできない。
歩いてみたが、闇の中では足元もおぼつかなく、恐怖だけが僕を支配するが、それでも何かしなければますます恐ろしくなる気がしてとにかく歩いた、しかし、やがて疲れて倒れこみ、そして動けなくなった。
誰も助けが来ないことの恐ろしさを嫌と言うほど味わった、らしい…

はっと目が覚めた、見た覚えの無い空間が目の前に広がっていて僕はまた不安になった。
「やっと目が覚めたか」
 空間をさえぎるように父が顔を覗き込んだ。
「親父」
「お前、ファミレスで水をこぼした後に急に大騒ぎして、苦しみ出して気を失ったらしいぞ」
「そうかぁ、ところで輝実さんは?」
「輝実さん? お前は一人だったらしいぞ」
「一緒に店に入った連れの女性なんだけど…」
「あぁアルバイトの娘が言ってたなぁ」
「やっぱり」
「違う違う、お前一人で店に来たのに、『水が足りない』って言ってみたり、誰も居ない向かいの席に話し掛けていたとか…」
「そんな筈はないけど」
「でも、金も一人分だったぞ」
「確かに」
「お前、大丈夫か?」
「わかんなくなってきた」
「はぁ?」
「なぁ親父」
「何だ?」
「俺にお姉さんって居るのかな」
「…」
「いや、忘れてくれ」
「今夜はゆっくり寝ろ」
「そうする」

夢を見た。
幼い時の事
まだ幼稚園に入る前だった
家の前で一緒に女の子と遊んでいた
僕より少し年上の女の子
家に前に小川があるのでそこに近付かない様に気を付けて遊んでいた
フッと女のこの方を振り返るとそこに居る筈なのに居なかった
僕は気になって探した
最悪の事を考えて小川を覗き込んだ
雪解けの後で増水していた小川は今迄見た事がない勢いで流れていた
「お姉ちゃん」
僕は確かにそう呼んだ
「お姉ちゃん」もう一度叫んでもう少し川の方に見を乗り出した
その瞬間に背中に衝撃を感じた
僕の体は水の中に吸い込まれた
僕はもがいた
もしかしたら一瞬の事だったのかも知れない
が、僕には長い苦しみだった
服の隙間からは、凍ったような水が入ってくる
口の中にも水はどんどん流れ入って来た
水・水・水!どこを見ても水だった
その時、目に入った人物に向かって叫んだ
「助けてお姉ちゃん!」
そこに立っていたのは母ではなく、先ほどまで遊んでいた女の子だった
女の子の恐怖に震えるような顔が鮮明に浮んだ
その女の子の体をすり抜けて母が駆け寄ってきた
僕は、近くの草を掴んで、必死に流されないようにしていたらしい
母はそんな僕を救い出した
やっと、本当の事が見えた
そんな夢だった

古楽
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古楽

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