六、別れ
眩しかった光が闇に負けていく。
黄昏時とは誰が呼んだ呼び方なのだろう。
「もう帰らなくちゃ」
何度も夢で見た時の幼い声で寂しそうに呟く、目を下に落として俯いた事は声の主を見なくてもはっきり分かった。
(何か声をかけてあげないと…)
頭の中ではそう思うが、言葉が出てこない。
肝心な時に役に立たない頭をなじりながら無言の時間が流れている…
いよいよお別れの時、完全な闇が支配すると二度と会える事は無くなってしまう。
「あの…」
次に付く言葉も無いままに声を出した。
そんな僕の目の前を黄緑色の光がフワフワと飛んでいく。
「蛍だね」
俯いた顔を上げた姉の目がそう囁きながら僕を見つめた。
長いようで短い夏の一番大きな思い出であろう蛍が、夜の訪れと共に迎えに来たのかもしれない。
「ありがとう」
姉は満面の笑顔を僕に向けた。
「僕も楽しい夏だったよ」
考えなくても自然に声が言葉を作っていった。
「これからはちゃんと帰ってこないとお父さんが寂しい思いをするよ」
「そうやね」
僕は頷いた。
「睦実さんは、明日、女の子を産むわ。明日からは忙しくなるんだからね、お父さん」
「あ~あ、俺は男の子が欲しいいんだけどなぁ、女の子はもう懲り懲りだよ」
「なによその言い草、まるで私で懲りたみたいに聞こえない?」
いつもの姉に戻りつつあった。
「えっ、違った?」
「失礼しちゃう~」
二人はフッと顔を合わせた。
自然に出た大爆笑の後に少女は言った。
「も~、せっかく最後くらいおしとやかにと思ったのに、残念だったなぁ。
残念ついでにもう一つ言っちゃうなら『愛と恋』が最後まで観れなかったのが残念かも」
「何それ」
「お昼に放送してたドラマ、面白いんだよ」
「でも、睦実はそういったもの観ないんじゃなかったか?」
「そう言えば睦実さんはミノさんの方が好きだったみたい。
最初は頑張ってチャンネル変えてたんだけど、チャンネル変える度に睦実さんが驚いて怖がるから、最近は睦実さんに憑依して観てたんだよ」
「何だそれ、酷いなぁ」
「でも、睦実さんは憑依しやすかったなぁ、やっぱり輝之と波長が合うからかな?」
「そんなにしょっちゅうしてたのかよ」
「そんなに言わない。私が憑依してなかったら、子どもだってまだ出来てないのに」
「ん?どういうこと。」
姉は「しまった」と言う顔で僕を見た、
「ね~え~さん」
僕の声が少し怒っている。姉はオロオロしながら、
「ほら、睦実さんってのんびりしてるから、本当に子供が出来る日に限って分からないと言うか、何と言うか…」
「それで、憑依して手助けしてくれたと?」
「そうそう、そうなんだから、感謝されても良いくらいよね」
姉はますます挙動不審になる、そして僕の視線を感じて、「ごめんなさい」と呟いた。
そんな姉を見て僕は大声で笑ってしまった。気付かなかった僕もかなり間が抜けているに違いない。
(こりゃ睦実のこと笑えないな…、ましてこんな事は言えないよな…)
僕の笑い声を聞いて姉もやっと安心したらしい。
「最後にドジっちゃったなぁ」
そう言っていかにも残念そうな顔をしたのを見て、僕はもう一度笑ってしまう。
「良いんじゃないか、らしくって」
「そうかな?」
「そうだよ」
「じゃあ、それで良しとしよう」
そう言って姉は蛍の消えた方に顔を向けた。
「じゃあ、これでね。ばいばい」
手を振る姉の目に涙が溢れ出した。
「元気でな」
「もう死んでるのに?」
「あぁ死んでてもだ」
「うん」
最後に何か言いかけて口を開けた姉の声を聞き取れないままに消えた。
「ばいばい。か…」
気が付かないままに滂沱の涙が頬を伝っている。
夢を見た
今日別れた姉さんの夢
「輝くんありがとう」
姉さんはそう言って笑っていた
「姉さん、行かないで、まだたくさん話もしたいのに」
「輝くん、いつからそんなに甘えん坊になったの」
「元からだよ」
「困ったなぁ、お父さんなのに…」
「でも、私にはすぐに会えるわ」
「本当」
「本当よ」
「待ってる」