四、上方を再現

会えないのではなく、もう居ないのだと頭では理解していても友に相談したいと甚八郎の心は訴えていた。大坂では順々に復興が進むが、道楽である芸能にまでまだ余力を避けない。ならばこそ上方を再現し、上方を越えることが長浜の役割であると信じている。その方法が堂々巡りとなる。
芝居に対しての指導は数多く行ってきたが祭の全てを知ることがなかっただけに当初はやはり役者への指導の強化ばかりを考えていたが、それではダメなのだと知ったばかりではないか。
芝居を観せながら、役者を強要しない、しかし役者に注目させる方法は?
江戸での経験が頭をよぎった。
「そうや!舞台の外にも舞台を作るんや!」
江戸や大坂には何でも番付を作っている、これを曳山祭でも作る。
番付は全て役名であり、役者たちがすぐわかる。こうすれば観る方も迷わないで済むし、子どもたちも芝居の延長であると理解できる。今年は別格に上手い役者が四人いる、彼らには行司、頭取、勧進元、後見人の四役となる仕事を与えよう。特に行司は脇役である瀬田町組の笠原新三郎を置く、瀬田町組の演目は『巌流島』の中の『駒獄武術究』。笠原が宮本武蔵に剣を教えるが、宮本を演じる役者もなかなか上手い。舞台の上で笠原が宮本に剣を教える姿は、そのまま舞台上での演技指導になるに違いない。宮本の実力なら関脇か? 指導によっては来年は大関にも四役にもなれるかもしれない。
「これに気付いた客は瀬田町組の舞台に殺到するで!」
甚八郎は、さまざまな指導を思い返した。御堂前組の役者は飛び抜けた者がいないが演技が安定している前頭に七名選んだ。彼らに失敗はないだろう。
ひとりの聴衆として、多くの役者を観る。そして元指導者として評価する。これを公に発表することで見所を報せながらも全てを丁寧には説明する気はない。甚八郎が評論まで書いてしまえばそれは全ての人が甚八郎の目で芝居を観ることになる。そんなつまらないことはしたくない。
芝居も全ては説明しない、情報を与えて観てる者が自由に発想して楽しむものだ、版元ならば解説本も書けるが、敢えて番付にする。客は「鍛冶屋の評価は正しいのか?」と見えない勝負を仕掛けてくるだろう、役者も自らの評価に不服ならばより精進し上の者も格下に金星を与えないためにはこちらも精進せざるを得ない。
全員が競うことになる。甚八郎の背に冷や汗が流れた。上方や江戸の番付にはそこまでの覚悟のもとに作られていたのだろうか?
不覚にも小さな不安が後世まで伝わる失態をこの芝居好きは犯してしまう。自らの名の上に「次第不同御免」と残した。苦情は受付ないと先に宣言したのである。

思い付くことや、試そうとしていることが本当に正しいのか? 下手をすれば一番大切な子ども歌舞伎の舞台を壊すことになるのではないか? と余計な不安が何度もよぎってしまう。前例がないならば試してみるしかない。失敗を先に考えるよりその先を見据えるためにはできることを全てやってみるのだ。それは神頼みでも構わない。甚八郎の覚悟と弱さを見せつけて加護を受けてやろうではないか。
八幡宮の奉納神事でありながら、それだけではなくあちらこちらの神に願った。船に乗って竹生島にも渡り長い階段を祈りながら一段歩んでは「太閤さん、お守りください」と神に願いをかけた。宝厳寺唐門は太閤さんの大坂城極楽橋からの移築であり舟廊下の天井も太閤さんに所縁がある。大坂も曳山も秀吉に縁深い。
「ずいぶんと熱心なことで…」
他の参拝者が目を丸めるほど、甚八郎は丁寧であった。
「何か、強い願掛けがありますのか?」
遠くからの参詣者とは思えないみすぼらしい風態の中年男が興味深げに声をかけてきたため、長浜曳山祭の成功祈願であることを伝えると、男は「それなら」と自らの村に来ることを提案した。
「竹生島から船で北に行くと、陸からは入れない菅浦村があり、村一番の景勝地にもなっている保良神社(須賀神社)には平城京の頃に都を追われた廃帝様(淳仁天皇)が崩御された地としてお社があるのですが、このお社は選び事にご利益があると伝わりますから、お参りされてはいかがでしょう」
選び事とは面白い。曳山祭も舞台の順番によって全く違う印象になる。これも大きな神頼みであり、太閤さんが繋ぐ縁かもしれない。男の誘いを受け竹生島から船に乗り菅浦村へ着いたのは黄昏刻だった。
「竹生島でこんなに長い時間を過ごしたのは初めてですわ」と菅浦村の男は半ば呆れていたが甚八郎に付き合ってくれた。
男の家を宿とし、翌朝早くに保良神社への石段を登ると、傍に手水舎がある辺りが柵で塞がれていた。柵の横から入れないではないが、目前に見える拝殿を見上げながら悩んでいると男が後ろから追いついてきて「良かった」と言う。
「気が付いたらもう出掛けられていて慌てました」
息を切らせている、よほど急いで来てくれたのだろう。
「ここで立ち止まってくれて助かりました」
と、柵を指差して言う。
「これが、保良神社の結界になります。階段を塞いでいるときは土足での参詣は許されず履物を脱がねばなりません。柵が塞いでいないときはそのままでも許されます。本日は裸足で行かねばなりません」
甚八郎の悩みが廃帝への無礼を回避することになった。草鞋を脱いで手水舎に置き石段を登る。夜の時間と朝露に冷やされた石段は足に染み、小石を踏むたびに痛みを伴った。
拝殿で手を合わせるとその横を通って本殿に向かうが、ここは砂利が敷き詰められていて、石段よりも痛みを受けた。
この痛み一つひとつが曳山祭への想いなのである。慣れることはないが痛みを真摯に受け止めたとき、確証はないが成功の確信を得た気がした。
はっと気付いたとき、村の男はおらず、直前に出た筈の男の家にもたどり着けなかった。
「あれは、太閤さんだったのかもしれない」
甚八郎は、男を探すことは諦めて湊へ向かい、竹生島でもう一度礼を言って長浜に戻ったのだった。

祭の前、籤取りの神事に甚八郎は参加できないが役者の安全と成功を念じて水を身に打たせた。籤により順番が決まり甚八郎にも報せが届いた。
終劇は瀬田町組であった。
「願いが通じた!」
鍛冶屋が総力を挙げて推す舞台は、笠原が宮本へ指導する場面である。最大の見所が最後にくるならば、誰も離れられず残るであろう。そして舞台の上で曳山祭の伝承を観るのだ。
笠原が教えることは、来年からの客の目の肥やしとなる。客が育てば演者も育つ。相乗効果により年々磨かれて行くようになる。
「宇津木様、太閤さん、やりましょう!」
最後が決まったからと言って、それだけならば前に期待が無くなる。鍛冶屋甚八郎、役者以上に役になりきってこの大舞台を必ず成功させてみせる。そのために「さすが鍛冶屋」と言わせるまでの眼力を持って役者たちを見極めてやらねばならぬ。
甚八郎は、指導者でありながら全員を平等に俯瞰する観察者にもなったのだった。
すべての結果が甚八郎に届けられた。
「なんちゅうこっちゃ!」
甚八郎はあたりを構わずに叫んだ、ほぼ完璧である。準備段階では神のご加護を受けている。あとは当日に託された感覚でもあった。

古楽
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