五、本番
秋の透き通る空の下、祭当日を迎えた。
天保八年九月十三日長浜の天気は晴天であったと記録されている。この日より三日間長浜曳山祭が行われる。
早朝に店の井戸で身を清めた甚八郎は新しい褌を締め浅葱色の肌着を着た。この色は武士が切腹するときに着用する裃の色である。鍛冶屋が版元となった『長濱神事曳山小児狂言見立觔』は昨日までに予想以上に売れた。地元だけではなく見学のために泊まっている他地域の人々にも買い求められ、鍛冶屋では夜を徹して刷った。噂を聞きつけてか祭のために閉店が決まっている店の前にまで行列ができたため、急いで店前での販売を開始する。
「すごい反響や」
甚八郎は、その熱気に恐れた。自らが評価した番付が本当に正しいのか? これを観て希望の舞台を観て失望する客がいるのめはないか。
肌着の色が見えないように裃を着用し脇差を指した。普段ならば不慮の事故が起こらないように紙縒で鍔と束を縛るが、今朝は紙縒を切った。自らの失態があればすぐに腹を切らねばならない。九月の朝は空気が冷たくなってくるが甚八郎の汗は止まらない。覚悟の足りなさに失笑してしまう。
十二基の山車は、昨夜半の籤により決まった順で巡行する。
まずは神戸町組から始まった。題目は人気の高い『義経千本桜』であるが、人気の人物が登場する場面ではなく夫を慕って旅する若葉内侍が権太という悪人に金を盗られ、頼るべき家来の主馬の小金吾が追っ手に討たれる心詰まる場面が続く。始まりとして申し分ない。特筆すべき役者はいないが小金吾に小結の評価を与えたことに異存はなさそうだ。
二基目は伊部町組の『源平布引滝』であった。源平期の物語が続くことに一抹の不安を感じていたが、ここで四役の一人勧進元に配した役者が主人公多田蔵人行綱を演じる、他のものがまだ慣れないのか蔵人が引っ張りながら進む物語は、まさに妻小桜(本来は小万)を助ける夫の姿にも重なっていた。
三基目は呉服町組の『小栗袖日記』であった。甚八郎にとって最初の盛り上がり場面と考えている。主人公後藤左衛門を演じる役者を四役の一人頭取に指名し、主役でもない関女(歌舞伎では玉章)には大関の実力があると評価している。甚八郎は思わず脇差の柄に手を乗せた。強く握りしめたために少し手を動かすだけで小さな痛みを持ってはっと我に返る。しかしまた舞台の上を凝視する。「まだ線香は燃え尽きないのか?」後藤と関女は周りの視線を一身に集めていたが、それであるからこそ小さな失敗も目立ってしまう。後藤が語る噂になる美しい姫の描写に、甚八郎自身も叶わなかった恋の相手を思い出して涙が出た、周囲を見回すと同じように目を光らせる人々がいた。
線香が尽きる頃、甚八郎の掌は皮一枚が剥けていて脇差の柄に血が染みる。終劇になり痛みが襲ってきた。
四基目、魚屋町組は人気の『忠臣蔵』の一場面を演じたがよく知られた物語であったため、目立った役者がいなくても落ち着いて観ることができた。次は人形山であったため一息つく。
六基目の北町組は男女の揉めごと『岩井風呂』で半分が終ったが、甚八郎はまだ死なずに済んでいた。
「期待以上の芝居を観せてくれている」
朝の不安は薄れ、他の観衆と同じように芝居を楽しんだ。
「鍛冶屋の瓦版は凄い!」
どこからともなく聞こえた声に甚八郎は思わず反応した。
「よく調べているのか、評価が的確。四役や大関の役者に注目して観ていたら間違いがない」
するとその周りから「そうだ」との声と「どこで手に入るのか?」との声が混ざって飛び交い、まだ手に入れていない人がまた鍛冶屋へと向かっていた。
後半は大手組町から始まった。題目は『鎌倉三代記』である。鎌倉時代を舞台にしているがえがかれるのは豊臣家の滅亡であった。このときも大坂は大混乱に陥ったのであろう、甚八郎自身が二月に経験した混乱や悲しみ、そして中村仲蔵らの機転と同じ場面が何度も展開されたのかもしれない。役者に優れた者はいないがその分全体を俯瞰して見つめられる。
「宇津木様…」
大坂を超える長浜をたった半年ほどでできるとは思わない。ましてや宇津木矩之允を満足させるようなものはいつできるのだろうか? もう芝居を語る相手がおらず心のなかで宇津木と対話して行くしかない。果たして自分にできるのであろうか?
いつの間にか、御堂前組の『伊賀越道中双六』が目前で演じられていた。この舞台も卒なくこなされている。目立った役者がいなくてもまとまりが良ければ決して悪くはない。今まで個々の演技ばかりに目が行っていたことを恥じてしまう。本当の意味での完成は本番が終わるまでわからないのかもしれない。
続いて宮町組の『梅の由兵衛』が始まる。金の争いで弟を殺してしまい、妻がその身代わりになることを決意。それを知った由兵衛の苦悩など主人公由兵衛には高い演技力が試されるが役者はそれを見事に演じる技能を持っていて、甚八郎も瓦版に総後見の大役を付していた。
十基目は、田町組の『阿漕の平次』二人の男の掛け合いが続くが、今年の二人はまだ伸び代があり、由兵衛の演技を観た後にはどうしても見劣りしてしまうだろう。今回の順で唯一流れを切る場所であった。
山車も残すところニ基となる。
舟町組も魚屋町組と同じく『忠臣蔵』をテーマにしていた。主人公お才は大関を任せられる上手い役者だった。ここに登場する端役の定九郎は中村仲蔵が名人となる工夫をした役でもあった。現在は三代目、大塩平八郎の乱でも冷静に対処した。芝居は役で決まるのではなく本人たちの工夫によってのし上がって行くと実践したのが初代中村仲蔵だった。
役者は化ける。甚八郎は曳山祭の役者にもそれを期待している。
最後を飾るのは瀬田町組の『巌流島』だった。甚八郎が一番の見所とした山車である。宮本武蔵に指導する笠原新三郎。普通ならば武蔵に上手い役者を充てるが瀬田町組は一番の役者を笠原にした、そして宮本も甚八郎が関脇だと評価する役者ではある。
一日目の舞台の上では、無難に公開指導が行われていた。
こうして、甚八郎の長い一日が終わる。
二日目、朝から晴天であり、十ニ基の山車は無事に演じていたが、最後の『巌流島』が演じられる七つ(午後四時頃)から雨になったがそれでも観客は舞台の周りから離れることはなかった。
最後の九月十五日、前日の雨が残り朝の始まりが遅れ五つ(午前八時頃)に晴天となる。山車は天気を確認して出発した。三日目になっても役者は慣れによる堕落もなく皆の技能が上がっていた。
始まりが遅れたため、日が落ちても終わらず篝火により浮きだされる演技は幽玄の世界を醸し出している。
九つ(午前零時頃)まで続いたが観客が最後まで帰らなかったのはやはり『巌流島』が話題になっていたからである。
天保八年の大トリを飾る瀬田町組の舞台は気迫に満ちていた。暗闇から浮かぶ舞台の上に居る笠原と宮本は二人だけの世界だった。この二日間も確かに二人は公開指導を見せていたが、今繰り広げられているのは笠原による卒業検定なのだ。腕の一振り、止める位置、その勢い。宮本の動きも表情も初日の舞台とは全く変わっていた。三日の全ての芝居は宮本によって神事に相応しい神すらも一挙一動を見逃せなくなっていた。
「宇津木様、ご覧になって下さいましたか?」
そして、太閤さんのご子息も満足してくれただろうか?
芝居が終わった後も周りの人々は動かなかった。余韻…今、指一本を動かすだけでも世界が崩れそうになる。そんな思考も後になって思い付く理由であり、その場では各々が納得するまで宮本の姿を反芻していた。
幾程の刻が流れたかわからない「鍛冶屋さん」と、長浜町衆の仲間から声をかけられて、はっとなる。周りの人はほとんどいなくなっていた。
「大盛況でしたな」
相手の笑顔につられて甚八郎も笑った。
急に腰が砕けて地面に尻が落ちた。
「もう、これも必要ないでしょう」
座り込む甚八郎の腰から鞘ごと脇差を抜き、紙縒で封印された。
「知っていたんですか」
「鍛冶屋さんだけに責任をとらせようとは思ってません」
少し乱れた相手の着物の下に浅葱色が見えたがすぐに隠れた。
「曳山祭は、長浜町衆全ての誇りですぞ、あなただけに楽しませません」
来年は今年を超える祭を観せなければならないのだ。